2005 |
02,24 |
新しい街に立つと、いつだってふわふわとした不思議な気分になる。
期待、不安、孤独、未知への遭遇。
−そして、それでもそこに立つ己への回帰。
そんなどこにも括れないような感情が、行き場をなくして渦巻いているような、落ち着かない時間。
借りてきた猫のように感じられるこの場所も、いずれこう言えるようになるのだろうか。
ただ一言・・・「ただいま」と。
#1 February 24,2005 Tokyo
24日、引越し前日。
俺は、新しく越してくる部屋の中にいた。
7年ぶりの引越しだと思う。
その時分は、特に自分でセッティングした引越しではなかったから、自発的にこうやって居場所を変化させるのは初めてのことだった。
「なんか調子狂うよな、こういうの」
俺はそうつぶやきながら、窓を開き、真新しい馴染みなき景色に浸った。
天の名前を司る不思議な坂が、眼下に広がり、そのさらにずっと向こうには、新宿の高層ビル群が上品ながらも怪しげに、その赤い光を点滅させているのが映る。
何もない部屋。
明日になれば、自分の家具で溢れ出していくこの部屋も、今はただ闇の中で静かにその時を待ち続けている。
まだ自分の存在を視認していないこの空気たちは、いつから俺の部屋としての自我を持つのだろうか。
いつから、そこに俺という記憶が染み出していくのだろう。
そんなことを、ここに来てからずっと考えてしまうのは、家を探すときに起こったある出来事のせいだということは、自分でもよく分かっていた。
そう、忘れもしないあの日のこと、あれは・・・。
・・・ブゥーッブゥーッ。
「やべっ、うとうとしてた」
窓際に置いた携帯に慌てて手を伸ばす。
3コール目になんとか通話ボタンを押せた。
「もしもしー」
「あ、もしもし。私だけど、引越し中ごめんなさい」
「いえいえ、お疲れ様です。こちらこそ私事でマジ申し訳ないです」
俺がそう言うと、電話の向こう側のソプラノボイスが、ケラケラと笑った。
彼女のウェービーな髪が踊るのが目に浮かぶ。
電話の向こう側は、1月からの新しい上司だった。
金融機関でコンサルティングセールスに携わって3年。
転職する同期が増えてきて、ちょっと自身の所在を確かめる機会が多くなった中、俺はここにいることを望み、代わりによりステップアップした仕事に就くことを選んだ。
そういった今までいた自分の立場のような人に対し、そのセールス法のサポートをしたり、発案をしていき、セールスのプランニングを作っていくという仕事だ。
自分が実際に顧客と対面する機会は減るけれど、代わりにそういった目標から離れ、より視野のスプレッドを拡張したり、自分の脳ミソを絞る作業が増えるのは、素直にうれしかった。
周りに「これからだったのに」「勿体無い」と言われるのは、逆にうれしいことなんだと思うようにしている。
今の仕事は、基本的に彼女と自分だけが担当しているという仕事が多く、さらに2人の間でも微妙に担当しているものが違う。
それでも、困ったことを何でも聞けて、新しいことを発案したときに真っ先に持ちかける、仕事柄一番近い関係の人だ。
40近くという年齢を感じさせない(本当に30少々だと思っていた)パワフルかつ柔らかい女性で、こちらに否があることも必ずこちら側に配慮した物言いをしてくれるところが本当にありがたかった。
「それより16時からの会議大丈夫?私でよければ話すけど」
「はい、バッチリ準備してます。携帯から会議には入りますよ」
俺はそう答えながら、鞄の中からパワーポイントの印刷物を取り出した。
自分が昨日急遽作成した資料だった。
本来誰かに頼まれたものでも何でもなかったのだが、ふと思いついたイメージを形にしたくて堪らないという性格は、この仕事ではたまたまプラスに働いているらしい。
マネージメントという観点ではからきしダメな部分の多い自分でも、一人で切り込みながらアイディアを形にしていく今のスタイルは、本来の自分ともうまくマッチングしているんじゃないかと、我ながら思うんだ。
それは、先日行われた高齢者向きのセミナーで、今後の超高齢化時代をどう生きていくかというのを、データと共に提供する、よくありがちなそれのフィードバックだった。
ただ、変わっていたのは、その高齢化の浸透具合に関して、人口学の観点から専門家に講演をしてもらった点だろう。
言葉だけが先行しがちなこの時代において、数字はいい意味でも悪い意味でも特効薬となりやすい。
使い方さえ間違えなければ、啓蒙活動の一環としては一定以上の効果を期待できるはずで、それをスタッフへ徹底させようという、少し顧客に取っては意地の悪いやり方だった。
本来、それを思いついた時点で気付けばよかったのだが、その会議の日こそが今日だった。
引越し準備のために無理言って休みを取ったものの、どうしても自分で責任を持ちたかったらしい。
「・・・無理しちゃだめよ。いつでも言ってくれれば代わるからね」
「はい、ご配慮頂いてすみません。できる限りやってみます」
そう殊勝に答えつつ、そういった類のプレゼンテーションが大好きな俺は、ふと唇の端に笑みを浮かべながら、再度プリントへと目を移した。
スライド8枚を10分。
恐らく配分も展開も大丈夫だと思う。
まあ、気楽にいこうぜ−少し心拍数の上がっている自分の心臓をなだめつつ、ヒンヤリとしたフローリングの床にゴロっと寝転がった。
・・・ブゥーッブゥーッ。
「またかよ・・・」
切った筈の携帯電話が再び震えている。
会議まで残り僅かなので、少しいぶかしみながら電話を取った。
「はいはい、もしもし」
「あのー、4時にお約束した東京ガスの・・・」
その瞬間、俺はさっと顔から血が引いていくのを感じた。
16時、会議の時間。
全国に中継された会議に、俺とガス屋とのやり取りが聞こえたら、それはもう滑稽だ。
「・・・ですから、そうしたY世代の台頭により、X世代における年金確保の問題は・・・」
「すみませーん、ガスの栓なんですが・・・」
「あ、えーと、ですから年金がですね・・・」
そんな会話、想像するだけで反吐が出る。
何かが向上するための道化師にはなるけれど、意味のない道化を演じるほど、柔軟なプライドを持っては生まれてこなかったし。
それからの時間、どう自分が動いたのかさっぱり覚えていない。
ただ覚えていることと言えば、断片的に、モニターに映るガス屋さんの姿を視認しながら、必死にごまかしつつ会議でしゃべったことだけだ。
それでも、しゃべる瞬間だけは、不思議と音もさっと消えて、まるで違うプラネットに浮かんだような気分になったのは忘れられない。
あの世界の感覚を知ってしまっているから、矢面に立つ瞬間をやめられないんだと思う。
−ひょっとしたら、もう中毒なのかもしれない。高揚感という名前のドラッグの。
期待、不安、孤独、未知への遭遇。
−そして、それでもそこに立つ己への回帰。
そんなどこにも括れないような感情が、行き場をなくして渦巻いているような、落ち着かない時間。
借りてきた猫のように感じられるこの場所も、いずれこう言えるようになるのだろうか。
ただ一言・・・「ただいま」と。
24日、引越し前日。
俺は、新しく越してくる部屋の中にいた。
7年ぶりの引越しだと思う。
その時分は、特に自分でセッティングした引越しではなかったから、自発的にこうやって居場所を変化させるのは初めてのことだった。
「なんか調子狂うよな、こういうの」
俺はそうつぶやきながら、窓を開き、真新しい馴染みなき景色に浸った。
天の名前を司る不思議な坂が、眼下に広がり、そのさらにずっと向こうには、新宿の高層ビル群が上品ながらも怪しげに、その赤い光を点滅させているのが映る。
何もない部屋。
明日になれば、自分の家具で溢れ出していくこの部屋も、今はただ闇の中で静かにその時を待ち続けている。
まだ自分の存在を視認していないこの空気たちは、いつから俺の部屋としての自我を持つのだろうか。
いつから、そこに俺という記憶が染み出していくのだろう。
そんなことを、ここに来てからずっと考えてしまうのは、家を探すときに起こったある出来事のせいだということは、自分でもよく分かっていた。
そう、忘れもしないあの日のこと、あれは・・・。
・・・ブゥーッブゥーッ。
「やべっ、うとうとしてた」
窓際に置いた携帯に慌てて手を伸ばす。
3コール目になんとか通話ボタンを押せた。
「もしもしー」
「あ、もしもし。私だけど、引越し中ごめんなさい」
「いえいえ、お疲れ様です。こちらこそ私事でマジ申し訳ないです」
俺がそう言うと、電話の向こう側のソプラノボイスが、ケラケラと笑った。
彼女のウェービーな髪が踊るのが目に浮かぶ。
電話の向こう側は、1月からの新しい上司だった。
金融機関でコンサルティングセールスに携わって3年。
転職する同期が増えてきて、ちょっと自身の所在を確かめる機会が多くなった中、俺はここにいることを望み、代わりによりステップアップした仕事に就くことを選んだ。
そういった今までいた自分の立場のような人に対し、そのセールス法のサポートをしたり、発案をしていき、セールスのプランニングを作っていくという仕事だ。
自分が実際に顧客と対面する機会は減るけれど、代わりにそういった目標から離れ、より視野のスプレッドを拡張したり、自分の脳ミソを絞る作業が増えるのは、素直にうれしかった。
周りに「これからだったのに」「勿体無い」と言われるのは、逆にうれしいことなんだと思うようにしている。
今の仕事は、基本的に彼女と自分だけが担当しているという仕事が多く、さらに2人の間でも微妙に担当しているものが違う。
それでも、困ったことを何でも聞けて、新しいことを発案したときに真っ先に持ちかける、仕事柄一番近い関係の人だ。
40近くという年齢を感じさせない(本当に30少々だと思っていた)パワフルかつ柔らかい女性で、こちらに否があることも必ずこちら側に配慮した物言いをしてくれるところが本当にありがたかった。
「それより16時からの会議大丈夫?私でよければ話すけど」
「はい、バッチリ準備してます。携帯から会議には入りますよ」
俺はそう答えながら、鞄の中からパワーポイントの印刷物を取り出した。
自分が昨日急遽作成した資料だった。
本来誰かに頼まれたものでも何でもなかったのだが、ふと思いついたイメージを形にしたくて堪らないという性格は、この仕事ではたまたまプラスに働いているらしい。
マネージメントという観点ではからきしダメな部分の多い自分でも、一人で切り込みながらアイディアを形にしていく今のスタイルは、本来の自分ともうまくマッチングしているんじゃないかと、我ながら思うんだ。
それは、先日行われた高齢者向きのセミナーで、今後の超高齢化時代をどう生きていくかというのを、データと共に提供する、よくありがちなそれのフィードバックだった。
ただ、変わっていたのは、その高齢化の浸透具合に関して、人口学の観点から専門家に講演をしてもらった点だろう。
言葉だけが先行しがちなこの時代において、数字はいい意味でも悪い意味でも特効薬となりやすい。
使い方さえ間違えなければ、啓蒙活動の一環としては一定以上の効果を期待できるはずで、それをスタッフへ徹底させようという、少し顧客に取っては意地の悪いやり方だった。
本来、それを思いついた時点で気付けばよかったのだが、その会議の日こそが今日だった。
引越し準備のために無理言って休みを取ったものの、どうしても自分で責任を持ちたかったらしい。
「・・・無理しちゃだめよ。いつでも言ってくれれば代わるからね」
「はい、ご配慮頂いてすみません。できる限りやってみます」
そう殊勝に答えつつ、そういった類のプレゼンテーションが大好きな俺は、ふと唇の端に笑みを浮かべながら、再度プリントへと目を移した。
スライド8枚を10分。
恐らく配分も展開も大丈夫だと思う。
まあ、気楽にいこうぜ−少し心拍数の上がっている自分の心臓をなだめつつ、ヒンヤリとしたフローリングの床にゴロっと寝転がった。
・・・ブゥーッブゥーッ。
「またかよ・・・」
切った筈の携帯電話が再び震えている。
会議まで残り僅かなので、少しいぶかしみながら電話を取った。
「はいはい、もしもし」
「あのー、4時にお約束した東京ガスの・・・」
その瞬間、俺はさっと顔から血が引いていくのを感じた。
16時、会議の時間。
全国に中継された会議に、俺とガス屋とのやり取りが聞こえたら、それはもう滑稽だ。
「・・・ですから、そうしたY世代の台頭により、X世代における年金確保の問題は・・・」
「すみませーん、ガスの栓なんですが・・・」
「あ、えーと、ですから年金がですね・・・」
そんな会話、想像するだけで反吐が出る。
何かが向上するための道化師にはなるけれど、意味のない道化を演じるほど、柔軟なプライドを持っては生まれてこなかったし。
それからの時間、どう自分が動いたのかさっぱり覚えていない。
ただ覚えていることと言えば、断片的に、モニターに映るガス屋さんの姿を視認しながら、必死にごまかしつつ会議でしゃべったことだけだ。
それでも、しゃべる瞬間だけは、不思議と音もさっと消えて、まるで違うプラネットに浮かんだような気分になったのは忘れられない。
あの世界の感覚を知ってしまっているから、矢面に立つ瞬間をやめられないんだと思う。
−ひょっとしたら、もう中毒なのかもしれない。高揚感という名前のドラッグの。
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そんなわけで、この週末、日記がかけない間、引越しを敢行してました。
何気に複雑に色々なことが起こった引越しで、久々ということもあってすごく感慨深かった。
で、単に出来事を書くだけじゃつまらないなということで、少し小説チックにしてみようと思ったら、かなりボリュームが出てきてしまったので、ちと腰を入れて書いてみようと思います。
・ひょっとしたら固有名詞が出てくるかもしれませんが、すべて仮名です。
・事実を元にしたフィクションです。
・が、事実を元にしているので、小説のようにすげードラマティックな出来事とかは一切起こりませんw
そんなこんなで、本当に最後まで書くのかテメーはという感じですが、ご感想・突込みなどあれば是非よろしく御願いしまっす。
何気に複雑に色々なことが起こった引越しで、久々ということもあってすごく感慨深かった。
で、単に出来事を書くだけじゃつまらないなということで、少し小説チックにしてみようと思ったら、かなりボリュームが出てきてしまったので、ちと腰を入れて書いてみようと思います。
・ひょっとしたら固有名詞が出てくるかもしれませんが、すべて仮名です。
・事実を元にしたフィクションです。
・が、事実を元にしているので、小説のようにすげードラマティックな出来事とかは一切起こりませんw
そんなこんなで、本当に最後まで書くのかテメーはという感じですが、ご感想・突込みなどあれば是非よろしく御願いしまっす。
(;´д`)
なんか熟女シリーズになってきた感もありますが・・・w
引越しなんて二度とするもんじゃないなと思いますた;
それでも、新しい部屋ってなんか色々詰まってて好きなんですけどね。
もっとも、ネットが繋がってないので、夜家に帰っても微妙に手持ち無沙汰だったりw
引越しなんて二度とするもんじゃないなと思いますた;
それでも、新しい部屋ってなんか色々詰まってて好きなんですけどね。
もっとも、ネットが繋がってないので、夜家に帰っても微妙に手持ち無沙汰だったりw
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