2004 |
09,24 |
«雨の終わる場所»
「行ってきまーす」
無言の家に投げやりな声を上げながら、バサっと大きな傘を広げた。
バタンと後ろ手にドアを締め、そっと手にしたそれを見やる。
男物の紺のストライプが入った傘。
僕の視界をさっと傘の影が掠めた。
雨が時折バケツをひっくり返した感じで降り続く中、だんだんと濃い色へと変化していく制服をなんとか庇いながら、僕は道を急いだ。
−雨はキライ。
いつだってそうだった。
こんなちっちゃな傘だけじゃ、僕を庇うことなんて出来やしないのに。
それなのに、小さな傘の中に無理に体を押し込めて歩いてる自分の姿は、なんだか自分自身をそのまま象徴しているかのようで、いつだって胸が痛かったんだ。
そんな自分が、この雨を待つようになって、どれくらい経つんだろうか。
この傘の裏にこっそりとホワイトマジックで書かれたTのサイン。
流暢な筆記体で書かれたそれは、元々僕のものではなく、あの人のものだった。
黙って取ってきたわけではない。ただ、返す日を待ち続けているだけ。
それなのに、どこか大事なものを奪い取ってしまったような、そんな軽い罪の意識と底の知れない喪失感に、僕は自分を濡らしていた。
φ
それは、紫陽花の花の色が淡い青からグラデーションを変えていく頃のお話。
水曜日のAM11:00。
僕がコンビニでメンズノンノを立ち読みしていると、突然ガラス越しの景色がくすむのが見えた。
一瞬ピカッと光った後、数秒してから響く遠雷の音。
1km以上先の地点で鳴っている、そうわかっていても、なぜか逸る鼓動に追い立てられるように、僕は外へ出た。
そうだ、傘もってないじゃん。
引き返して傘を買ってこようと思った僕は、ふと傘立てに一本突っかけられていた傘に気が付いた。
店内はこんな不安定な天気だからか、客は誰一人いない。
そして、お店のカウンターには、、、あの人がいた。
水田と書かれたそのプレートの上に乗っている、ちょっとクセッ毛の栗色のショートと、田舎の少女のように少し赤い頬。
その笑顔がなんだか忘れられなくて、でも通ってるみたいなのはイヤで。
週に2回くらいここで立ち読みをするようになってからもう2ヶ月くらいだろうか。
やがて、彼女が「つばきちゃん」と呼ばれていることを知った。
平日の午前中という狭間の時間帯だからか、店員は彼女以外の姿はない。
すると、この「T」の文字がついた傘はやっぱり彼女なんだろうか。
大きな男物の傘に違和感を感じながらも、紺色のストライプが妙に洒落てて、そう考えるとセンスいいのかも、とちょっと思い直してみたりもして。
鼓動が早くなる。
そして−音が消えた。
気付けば、僕は学校でその傘をバサバサと広げ、雨を払っていた。
休み時間はとっくに終わっている。
次は数学の時間だから、適当に言い訳していけばいいだろ。
そう思う僕の頭の中からは、だんだんと傘の映像が薄れていく。
φ
それでも、家に帰る度、雨の日にそれを手にする度に、その日の出来事は何度もフラッシュバックしていた。
ただ、それはもうどこか現実味がない映像になっていて・・・。
彼女のことを想像する度に湧き上がる淡い炭酸水のような、そんなどこか甘酸っぱくも痛い気持ち。
しぼんでは膨らむその気持ちは、やっぱりこの傘のようで、僕は思わず傘の柄をぐっと握り締めた。
通り過ぎる車が時折あげる水しぶきを何度も避けながら、僕は目的地に辿り付く。
目の前に見えてくるいつものコンビニを見て、僕は一度傘をくるりと回した。
まだ、彼女がいない時間帯だった気がするし、多分大丈夫。
音を立てないようにそっと傘立てに近付き、くるくるとまわしながら傘を回す。
そして、傘を立て掛け、何食わぬ顔をして僕はコンビニに入った。
「いらっしゃいませー」
−ツバキちゃんの声だった。
僕は思わず舌打ちをして、雑誌コーナーへとターンする。
チラチラとレジを伺っていると、やがて彼女は店の奥へと声をかけ、エプロンを外し始めた。
どうやら交代の時間みたいだ。
ひょっとしたら傘に気付くかもしれない、そう思えば思うほど、しなくてもいいはずの緊張が妙に高まってきた。
「店長、お先に失礼しまーす」
入口付近で柔らかいメゾソプラノの声が響いたかと思うと、次の瞬間、
「あれ、この傘・・・」
そういいながら彼女は傘を手にする。
−やっぱりツバキちゃんのだよな・・・。
なぜか湧き上がるうれしい気持ちと、さみしい気持ち。
そして、色を濃くする罪悪感。
「わたしが探してた傘ありましたよー!よかった・・・」
「おお、あの傘か。よかったね、ツバキちゃん」
そんな会話を聞きながら、コンビニを出ようと雑誌を元の棚に戻した時、客が一人入ってきた。
メットをかぶった若い男の人だ。
「・・・あれ、タロウくん、何してるの?」
「へへ、迎えにきちゃった」
タロウくんと呼ばれたその男は、メットを脱ぎ、彼女の傘を手に取った。
「ん?ツバキこの傘って・・・」
「うん、今見つかったの。誰かが間違えて持ってったのを返してくれたんだと思う。
ほら、タロウくんのサインも入ってるし」
え・・・と呆気に取られている僕を尻目に、その男は傘をくるくると回しながら、
「お前に貸すとロクなもんじゃないよな・・・って時間ないし、そろそろ行くか」
と彼女を促し、店を出て行った。
φ
あれから数年が過ぎ・・・。
そんな苦い想いが一杯だった雨も、今ではそんなに気にならなくなった。
キライだった雨。
そして、やがてせつなさを増した雨。
それも、自分なりの防御壁になるんだとわかった今では、いい思い出って言えるようになったんだろうか。
ドアを締めながら、僕は傘を開く。
「ツバキ、そろそろ時間が・・・」
「あ、トーマくん、ちょっと待ってくれる?あなたの旅行券がまだテーブルに置いてあるわよ」
そんな彼女の言葉に、僕は慌てて傘を投げ出し、家の中に舞い戻る。
投げ出された傘の裏には、掠れた文字でTのイニシャルが僅かに残っていた。
無言の家に投げやりな声を上げながら、バサっと大きな傘を広げた。
バタンと後ろ手にドアを締め、そっと手にしたそれを見やる。
男物の紺のストライプが入った傘。
僕の視界をさっと傘の影が掠めた。
雨が時折バケツをひっくり返した感じで降り続く中、だんだんと濃い色へと変化していく制服をなんとか庇いながら、僕は道を急いだ。
−雨はキライ。
いつだってそうだった。
こんなちっちゃな傘だけじゃ、僕を庇うことなんて出来やしないのに。
それなのに、小さな傘の中に無理に体を押し込めて歩いてる自分の姿は、なんだか自分自身をそのまま象徴しているかのようで、いつだって胸が痛かったんだ。
そんな自分が、この雨を待つようになって、どれくらい経つんだろうか。
この傘の裏にこっそりとホワイトマジックで書かれたTのサイン。
流暢な筆記体で書かれたそれは、元々僕のものではなく、あの人のものだった。
黙って取ってきたわけではない。ただ、返す日を待ち続けているだけ。
それなのに、どこか大事なものを奪い取ってしまったような、そんな軽い罪の意識と底の知れない喪失感に、僕は自分を濡らしていた。
φ
それは、紫陽花の花の色が淡い青からグラデーションを変えていく頃のお話。
水曜日のAM11:00。
僕がコンビニでメンズノンノを立ち読みしていると、突然ガラス越しの景色がくすむのが見えた。
一瞬ピカッと光った後、数秒してから響く遠雷の音。
1km以上先の地点で鳴っている、そうわかっていても、なぜか逸る鼓動に追い立てられるように、僕は外へ出た。
そうだ、傘もってないじゃん。
引き返して傘を買ってこようと思った僕は、ふと傘立てに一本突っかけられていた傘に気が付いた。
店内はこんな不安定な天気だからか、客は誰一人いない。
そして、お店のカウンターには、、、あの人がいた。
水田と書かれたそのプレートの上に乗っている、ちょっとクセッ毛の栗色のショートと、田舎の少女のように少し赤い頬。
その笑顔がなんだか忘れられなくて、でも通ってるみたいなのはイヤで。
週に2回くらいここで立ち読みをするようになってからもう2ヶ月くらいだろうか。
やがて、彼女が「つばきちゃん」と呼ばれていることを知った。
平日の午前中という狭間の時間帯だからか、店員は彼女以外の姿はない。
すると、この「T」の文字がついた傘はやっぱり彼女なんだろうか。
大きな男物の傘に違和感を感じながらも、紺色のストライプが妙に洒落てて、そう考えるとセンスいいのかも、とちょっと思い直してみたりもして。
鼓動が早くなる。
そして−音が消えた。
気付けば、僕は学校でその傘をバサバサと広げ、雨を払っていた。
休み時間はとっくに終わっている。
次は数学の時間だから、適当に言い訳していけばいいだろ。
そう思う僕の頭の中からは、だんだんと傘の映像が薄れていく。
φ
それでも、家に帰る度、雨の日にそれを手にする度に、その日の出来事は何度もフラッシュバックしていた。
ただ、それはもうどこか現実味がない映像になっていて・・・。
彼女のことを想像する度に湧き上がる淡い炭酸水のような、そんなどこか甘酸っぱくも痛い気持ち。
しぼんでは膨らむその気持ちは、やっぱりこの傘のようで、僕は思わず傘の柄をぐっと握り締めた。
通り過ぎる車が時折あげる水しぶきを何度も避けながら、僕は目的地に辿り付く。
目の前に見えてくるいつものコンビニを見て、僕は一度傘をくるりと回した。
まだ、彼女がいない時間帯だった気がするし、多分大丈夫。
音を立てないようにそっと傘立てに近付き、くるくるとまわしながら傘を回す。
そして、傘を立て掛け、何食わぬ顔をして僕はコンビニに入った。
「いらっしゃいませー」
−ツバキちゃんの声だった。
僕は思わず舌打ちをして、雑誌コーナーへとターンする。
チラチラとレジを伺っていると、やがて彼女は店の奥へと声をかけ、エプロンを外し始めた。
どうやら交代の時間みたいだ。
ひょっとしたら傘に気付くかもしれない、そう思えば思うほど、しなくてもいいはずの緊張が妙に高まってきた。
「店長、お先に失礼しまーす」
入口付近で柔らかいメゾソプラノの声が響いたかと思うと、次の瞬間、
「あれ、この傘・・・」
そういいながら彼女は傘を手にする。
−やっぱりツバキちゃんのだよな・・・。
なぜか湧き上がるうれしい気持ちと、さみしい気持ち。
そして、色を濃くする罪悪感。
「わたしが探してた傘ありましたよー!よかった・・・」
「おお、あの傘か。よかったね、ツバキちゃん」
そんな会話を聞きながら、コンビニを出ようと雑誌を元の棚に戻した時、客が一人入ってきた。
メットをかぶった若い男の人だ。
「・・・あれ、タロウくん、何してるの?」
「へへ、迎えにきちゃった」
タロウくんと呼ばれたその男は、メットを脱ぎ、彼女の傘を手に取った。
「ん?ツバキこの傘って・・・」
「うん、今見つかったの。誰かが間違えて持ってったのを返してくれたんだと思う。
ほら、タロウくんのサインも入ってるし」
え・・・と呆気に取られている僕を尻目に、その男は傘をくるくると回しながら、
「お前に貸すとロクなもんじゃないよな・・・って時間ないし、そろそろ行くか」
と彼女を促し、店を出て行った。
φ
あれから数年が過ぎ・・・。
そんな苦い想いが一杯だった雨も、今ではそんなに気にならなくなった。
キライだった雨。
そして、やがてせつなさを増した雨。
それも、自分なりの防御壁になるんだとわかった今では、いい思い出って言えるようになったんだろうか。
ドアを締めながら、僕は傘を開く。
「ツバキ、そろそろ時間が・・・」
「あ、トーマくん、ちょっと待ってくれる?あなたの旅行券がまだテーブルに置いてあるわよ」
そんな彼女の言葉に、僕は慌てて傘を投げ出し、家の中に舞い戻る。
投げ出された傘の裏には、掠れた文字でTのイニシャルが僅かに残っていた。
今日は関東では雨が激しく降ってて、妙に肌寒くて辛いッスよねぇ。。。
ということで、雨にちなんだ短編をひとつ。
皆さんもどうぞ体調にはお気をつけくださいませ。
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