2004 |
03,09 |
友達から、「音楽と愛と欲望に溢れてると謳った日記の割に、音楽の記述が少ないぞw」とお叱り(?)を受けたので、一つご紹介を。
ちょっと最近お気に入りの曲がこれです。
KOKIAというと、某FFのFLASHでご存知になった方が多いんじゃないでしょうか。
僕も、恥ずかしながら、今までKOKIAのことって全然知りませんでした。
音楽ニュースとかは結構チェックしてる方だったんスけどねぇ。。。
ピアノと規則正しく刻むビートが妙にクセになる曲なんですが、サビでグァッと世界と色が広がっていくのが何とも気持ちいい曲なんです。
スパっと幕を下ろして色を変えるのではなく、あくまでグラデーションの元に鮮やかに色を塗りなおしていくような感じが僕の中ではあって。
恐らく転調のタイミング、テンポの揺さぶり方にそのヒントがあるような気もするんですけどね。
ベースラインも、最初のサビの部分ではダウン進行していくのに、以下で述べる「言葉では〜」のくだりで、アップ進行へと変わるところがめちゃツボなんですけど。。。マニアックですみません_| ̄|○
そして、やはり注目すべきは歌詞かと。
特に大サビの部分にぎゅっと胸を掴まれる想いでした。
言葉では伝えきれない だからこそがんばれるよ
言葉から伝わってきた 優しさが一つぽろり
言葉というのは、どうしてもイメージを固定しがちなものなんですが、どうしたってその言葉を使わないと伝わらないものだってある。
言葉というのを僕がたとえるとき、よく12色しかない色鉛筆の例を出すんです。
どうしたってその12色の色鉛筆の組み合わせで色を表現するんですが、本当のニュアンスを伝えようとしたら、たくさんの色に色を重ねるしかない。
でも、重ねれば重ねるほど何も見えない(=黒)になってしまう。
だから、ある程度わかりやすい色にならざるをえない。
そんな不器用な道具が言葉だと僕は思ってます。
「私」という存在が一つのものに定義づけられるものなのか?
−そうした懐疑はありつつも、僕らは移ろいながらも変わらない「自分」を伝えるために、その不器用な道具を今日も使うのかもしれません。
その伝えることの微妙なニュアンス、温度、そんなものがこの曲からそれとなく感じ取れる気がして、このサビの言葉とメロディーに胸を熱くしてしまう、そんな今日この頃です。
いつの間にか大人になっても
独りが平気になるわけじゃない
いくつになってもかわらないこと
誰かに見ていてほしいときもある
変わったってことだけをとかく人は伝えたがるけれど、時にはこうして、自分がいた証、自分が変わらずにいられる部分を誰かに見ていてほしい−とかく背伸びしがちだった幼き頃には想像もしなかった気持ち。
変わりつつも変わらないもの。
それを伝えたくて、こうして言葉で綴っているんだろうな、きっと。