2004 |
11,15 |
最近、気になってること。
それは、いわゆる「原料」にこだわった食べ物が増えてきたことなんです。
たとえば、ココアだったら、黒豆ココアだったり、ゼリーにしてもどこそこの産地のミカンをいれてるとか、そうやって材料、原料への拘りを明記したものが実に多いな、とお昼ご飯のときなんかに思うんですよね。
たとえば、紅茶みたいに、その産地がすべてを分かつものだけじゃなくて、チョコなんかにも産地が明記されてるものが出てきてる様子で。
チョコの豆違いの商品ってのは興味深いなあ、とその話を聞いて思ったんスよねw
とはいえ、チョコ自体最近食べなくなったから。。。
たとえば、シフォンケーキのチョコ味みたいに、ダイレクトに
チョコを食べないものはスキなんだけどさ^^
甘くないチョコはスキで、ちとビターなココアなんかがあればかなりうれしいのになーと思う今日この頃。
最近、そういった原料の違いを売りにした商品が多いのは、やっぱり消費者が、商品の「違い」の根底にあるものを諾々と享受できなくなってきたからなのかな、とぼんやり思います。
昔は、単に商品が違うから味が違うということで納得していたのが、味が違う理由を積極的に求めはじめて、結果、その違いをもとに購入するという新たな理由付けが生まれるのかと。
ちょっとマクロとミクロが入り混じった話をすると。。。
ポストモダニズムが浸透する中で、経済の世界では、未だツリーの形(二項対立構造で作るツリー)でぶら下がった形での漠然とした「普通」が闊歩してきてた気がするんスよね、今まで。
そうした中で、ようやく消費社会の側がそのグレーゾーンに踏み込んだというか。
同じ分類として等価値で並べながら、あえてその違いを提示するやり方をみると、ようやく消費社会がその性質上持たざるを得なかったモダニズムからの脱却が図られてきたのかなあという気がするんです。
「ぜいたくなものを食べるという価値観があったのか?」
そもそもそれ自体がナゾなんですけどね、いってみれば。
たとえば、室町時代あたりの頃って、今ほど流通が盛んじゃなかったから、そもそもその土地で取れるものを一年でまわしていくことが普通であって、そこに贅沢なもの、という発想がなかったようにも思うんですよね。
それが、参勤交代なんかによって、そこでは食べられない贅沢なものを食べるという習慣付けができて、食べることにも何らかの形で付加価値が生まれたのかもしれないって。
そして、今の時代ってひょっとしたらそれに続く新しい意味付けが生まれている時代なのかも、とふと思って興奮してしまった単純なオレですw
昔みたいに、フォアグラ=贅沢〜、みたいな使い古された贅沢が、その形は保持しつつあえて違うものを取り込もうとしてるというか。。。
うーん、言葉にすると難しいけど(;´Д`)
ま、なにはともあれ、おいしいものって食べる瞬間は、いつだって幸せなわけで。
特にこれからの季節、温かいものがおなかに入るだけで、ほんのりとした幸せに触れられる、素敵な季節でもあるんスよね^^
もっとも、それだけ普通の時間が寒くて苦痛なわけですが・・・ということで、冬篭りの支度は皆さんお早めに(つд・)
それは、いわゆる「原料」にこだわった食べ物が増えてきたことなんです。
たとえば、ココアだったら、黒豆ココアだったり、ゼリーにしてもどこそこの産地のミカンをいれてるとか、そうやって材料、原料への拘りを明記したものが実に多いな、とお昼ご飯のときなんかに思うんですよね。
たとえば、紅茶みたいに、その産地がすべてを分かつものだけじゃなくて、チョコなんかにも産地が明記されてるものが出てきてる様子で。
チョコの豆違いの商品ってのは興味深いなあ、とその話を聞いて思ったんスよねw
とはいえ、チョコ自体最近食べなくなったから。。。
たとえば、シフォンケーキのチョコ味みたいに、ダイレクトに
チョコを食べないものはスキなんだけどさ^^
甘くないチョコはスキで、ちとビターなココアなんかがあればかなりうれしいのになーと思う今日この頃。
最近、そういった原料の違いを売りにした商品が多いのは、やっぱり消費者が、商品の「違い」の根底にあるものを諾々と享受できなくなってきたからなのかな、とぼんやり思います。
昔は、単に商品が違うから味が違うということで納得していたのが、味が違う理由を積極的に求めはじめて、結果、その違いをもとに購入するという新たな理由付けが生まれるのかと。
ちょっとマクロとミクロが入り混じった話をすると。。。
ポストモダニズムが浸透する中で、経済の世界では、未だツリーの形(二項対立構造で作るツリー)でぶら下がった形での漠然とした「普通」が闊歩してきてた気がするんスよね、今まで。
そうした中で、ようやく消費社会の側がそのグレーゾーンに踏み込んだというか。
同じ分類として等価値で並べながら、あえてその違いを提示するやり方をみると、ようやく消費社会がその性質上持たざるを得なかったモダニズムからの脱却が図られてきたのかなあという気がするんです。
「ぜいたくなものを食べるという価値観があったのか?」
そもそもそれ自体がナゾなんですけどね、いってみれば。
たとえば、室町時代あたりの頃って、今ほど流通が盛んじゃなかったから、そもそもその土地で取れるものを一年でまわしていくことが普通であって、そこに贅沢なもの、という発想がなかったようにも思うんですよね。
それが、参勤交代なんかによって、そこでは食べられない贅沢なものを食べるという習慣付けができて、食べることにも何らかの形で付加価値が生まれたのかもしれないって。
そして、今の時代ってひょっとしたらそれに続く新しい意味付けが生まれている時代なのかも、とふと思って興奮してしまった単純なオレですw
昔みたいに、フォアグラ=贅沢〜、みたいな使い古された贅沢が、その形は保持しつつあえて違うものを取り込もうとしてるというか。。。
うーん、言葉にすると難しいけど(;´Д`)
ま、なにはともあれ、おいしいものって食べる瞬間は、いつだって幸せなわけで。
特にこれからの季節、温かいものがおなかに入るだけで、ほんのりとした幸せに触れられる、素敵な季節でもあるんスよね^^
もっとも、それだけ普通の時間が寒くて苦痛なわけですが・・・ということで、冬篭りの支度は皆さんお早めに(つд・)
PR
Post your Comment
カレンダー
プロフィール
カテゴリー
最新記事
(04/18)
(03/17)
(02/15)
(12/15)
(11/15)
最新TB
ブログ内検索