2004 |
10,04 |
突然ですが・・・キライな食べ物の話をします。
テレビなんかでもやってる「食わず嫌い」なんですが、我慢して食べられるならむしろキライには入らないんじゃないかな、と最近のオレは思っていたりします。
だって、ホントにキライなら、くえないべ?w
で、僕はというとですね・・・。
マヨネーズがマジ苦手なんです。
もうちょっとだけ入っていただけでも食えない。
なんつーか、マヨネーズ探知機みたいなもんだと思っていただけるとよろしいのではないかと思います(ホントかよw
オレのマヨネーズ嫌いって、不思議と昔からなんですけど、それを決定付けた出来事がありました。
小学校のとき、マヨネーズに並んで嫌いだったのがキュウリだったんスよ。
んで、小4のときかな?給食で、マヨネーズがべったりとついた生のキュウリが出たことがあるんです。
当時の担任が、給食を残すなんてことは絶対許さないという姿勢の人で、オレがどうしても食べれずにいたら、教室の後ろに立たされて、そのまま午後の授業がはじまってしまったという(´ヘ`;)
結局、授業の後も立っていて、5時をまわって校舎に人影が消えたころになって、ようやく帰ることを許されたわけなんです(´Д⊂グスン
あの後、キュウリはなんとか食べられるようになったものの、マヨネーズだけはあの匂い、味がちょっとでも感じられるともうダメ(笑)。
だから、サンドイッチとかが出るとすごく辛いんだよなあ。
ハンバーガーは、モスバーガーのように、マヨ以外のメニューがあるところを選んでなんとかなってるけどさw
そんな給食の思い出も懐かしく思うわけですが、実は今の子供たちって、給食でムリして食べるなって感じみたいなんですよね。
なんでこの短い時間の中で急に風潮が変わってきたのかなっていろいろ考えてたんスけど・・・思うに、残さないということの強制って、好き嫌い=我儘という意味付けがずっと続いてきたからなんじゃないかと思ったりするんです。
昔って「いい子」の条件がすごく偏っていたんじゃないかな?
そこにはあまり相対的な振れ幅がなくって、いわゆる万能性がないといけないと思われていたんじゃないかって。
今は、たとえば数学ができなくてもそれを切り捨てて進むこともできるし、食べ物の好き嫌いも、本当に個人の趣向だという認識が広がってきてるような気がする。
ただ、それがゆとりがありすぎて、旧来の教育で育ってきた人たちが「学力低下だ!」って言ってる面はあるのかもなあ。
個人的には、広く浅くでもいいから、ある程度包括的な視点を自身の中で保持する意味でも、苦手なりに「知る」こと自体は重要だと思う。
もちろん、いざ自分の立場なら、苦手なことって避けて通りそうなんだけどw
今のように、定期的な試験があって、その点数というのがいわゆる絶対的な評価の一因になってるからこそ、苦手な教科はやりたくない、ということに繋がるのかな?
いわゆる日常レベルでそうした学問を感じられるレベルにまで落とし込んで、根本的な疑問を解決できるような教育ってのが行えればいいんだろうけど、やっぱりそれって、今の学校のシステムじゃ難しいだろうしな(;´∀`)
僕は、大学のとき家庭教師を何件かやってたんですが、ああいうのに一番大事なのは、如何に苦手だという意識をなくすかの一点だと思ってます。
解けるようになるならないは、別に二の次でいいというかw
オレが持った生徒の中に、英語が嫌いっていってる高校生の子がいたんです。
彼に、初回の授業のときに宿題にしたのが、「駅で見かけた英語を全部メモしておいで」ってこと。
たとえば、乗りこしの機械のところに[fare adjustment machine]と書いてあるんだけど、これを印象付けるだけで、運賃という単語だけ覚えるよりずっと覚えやすくなると思うんだよね。
そういう映像との補完だとか、自分が身近に感じられる部分で記憶させるってことで、彼の苦手意識をなくしていく過程が、自分でも面白く感じてた部分でもありました。
ちょっと話が教育の方向へシフトしすぎちゃったので、元に戻しますと。
最近だと、フレンチなんかが出てきたりと、給食もすごく面白いことになってるみたいでして。
中には、バイキング形式になってるところとかね。
ただ、オレの中では、いわゆる給食というある種確立したカテゴリーが、普遍化していってしまうのはちょっと悲しかったりもしてw
話があちこち飛び火してますが、そんな給食のエピソード一つとっても、妙に画一的な教育を受けてきた自分の生きてきた時代の背景を妙に勘繰ってしまったりしたのでした。
メンテだから暇で、とかって突っ込みは言うな! Σ(゜д゜lll)
テレビなんかでもやってる「食わず嫌い」なんですが、我慢して食べられるならむしろキライには入らないんじゃないかな、と最近のオレは思っていたりします。
だって、ホントにキライなら、くえないべ?w
で、僕はというとですね・・・。
マヨネーズがマジ苦手なんです。
もうちょっとだけ入っていただけでも食えない。
なんつーか、マヨネーズ探知機みたいなもんだと思っていただけるとよろしいのではないかと思います(ホントかよw
オレのマヨネーズ嫌いって、不思議と昔からなんですけど、それを決定付けた出来事がありました。
小学校のとき、マヨネーズに並んで嫌いだったのがキュウリだったんスよ。
んで、小4のときかな?給食で、マヨネーズがべったりとついた生のキュウリが出たことがあるんです。
当時の担任が、給食を残すなんてことは絶対許さないという姿勢の人で、オレがどうしても食べれずにいたら、教室の後ろに立たされて、そのまま午後の授業がはじまってしまったという(´ヘ`;)
結局、授業の後も立っていて、5時をまわって校舎に人影が消えたころになって、ようやく帰ることを許されたわけなんです(´Д⊂グスン
あの後、キュウリはなんとか食べられるようになったものの、マヨネーズだけはあの匂い、味がちょっとでも感じられるともうダメ(笑)。
だから、サンドイッチとかが出るとすごく辛いんだよなあ。
ハンバーガーは、モスバーガーのように、マヨ以外のメニューがあるところを選んでなんとかなってるけどさw
そんな給食の思い出も懐かしく思うわけですが、実は今の子供たちって、給食でムリして食べるなって感じみたいなんですよね。
なんでこの短い時間の中で急に風潮が変わってきたのかなっていろいろ考えてたんスけど・・・思うに、残さないということの強制って、好き嫌い=我儘という意味付けがずっと続いてきたからなんじゃないかと思ったりするんです。
昔って「いい子」の条件がすごく偏っていたんじゃないかな?
そこにはあまり相対的な振れ幅がなくって、いわゆる万能性がないといけないと思われていたんじゃないかって。
今は、たとえば数学ができなくてもそれを切り捨てて進むこともできるし、食べ物の好き嫌いも、本当に個人の趣向だという認識が広がってきてるような気がする。
ただ、それがゆとりがありすぎて、旧来の教育で育ってきた人たちが「学力低下だ!」って言ってる面はあるのかもなあ。
個人的には、広く浅くでもいいから、ある程度包括的な視点を自身の中で保持する意味でも、苦手なりに「知る」こと自体は重要だと思う。
もちろん、いざ自分の立場なら、苦手なことって避けて通りそうなんだけどw
今のように、定期的な試験があって、その点数というのがいわゆる絶対的な評価の一因になってるからこそ、苦手な教科はやりたくない、ということに繋がるのかな?
いわゆる日常レベルでそうした学問を感じられるレベルにまで落とし込んで、根本的な疑問を解決できるような教育ってのが行えればいいんだろうけど、やっぱりそれって、今の学校のシステムじゃ難しいだろうしな(;´∀`)
僕は、大学のとき家庭教師を何件かやってたんですが、ああいうのに一番大事なのは、如何に苦手だという意識をなくすかの一点だと思ってます。
解けるようになるならないは、別に二の次でいいというかw
オレが持った生徒の中に、英語が嫌いっていってる高校生の子がいたんです。
彼に、初回の授業のときに宿題にしたのが、「駅で見かけた英語を全部メモしておいで」ってこと。
たとえば、乗りこしの機械のところに[fare adjustment machine]と書いてあるんだけど、これを印象付けるだけで、運賃という単語だけ覚えるよりずっと覚えやすくなると思うんだよね。
そういう映像との補完だとか、自分が身近に感じられる部分で記憶させるってことで、彼の苦手意識をなくしていく過程が、自分でも面白く感じてた部分でもありました。
ちょっと話が教育の方向へシフトしすぎちゃったので、元に戻しますと。
最近だと、フレンチなんかが出てきたりと、給食もすごく面白いことになってるみたいでして。
中には、バイキング形式になってるところとかね。
ただ、オレの中では、いわゆる給食というある種確立したカテゴリーが、普遍化していってしまうのはちょっと悲しかったりもしてw
話があちこち飛び火してますが、そんな給食のエピソード一つとっても、妙に画一的な教育を受けてきた自分の生きてきた時代の背景を妙に勘繰ってしまったりしたのでした。
メンテだから暇で、とかって突っ込みは言うな! Σ(゜д゜lll)
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