2005 |
01,12 |
それは日記ではあまり触れられてなかったクリスマスイブのお話。
時期外れなのにも理由があるので、まあ後ほど。
#こうしてどんどん首絞めてるアフォがいるのはここですか?
その日の夜、オレはなぜか支店長とマネージャー(こちらは女性)とご飯&お酒を共にしていました。
まあ、これには色々な事情があるんですw
別にどんなイブだろうがいいと思うのも事実ですけど、一応ネタでさw
っていうか言い訳させてー・゜・(ノ∀`)・゜・。
1.前日が誕生日だった
23日が誕生日だったんです。
めでたくもなく、2*歳になりました。
基本的にもう20超えてからはうれしくないのですがw
この日は東京で某黒タルに誕生日を祝ってもらってたんですが、まあ流れで夜泊まることになりました。
−次の日、仕事ですよ、スーツ着てorz
仕方なく3時ごろちょっとだけ寝かせてもらって、6時に家に向かって出発しました。
8時前について、スーツ着て出かけて・・・はー、なんだこれw
ちなみに、誕生日、ケーキなんてめんどくせーよ、という僕に、黒タルがうるさくてですね^^;
「記念だし、買おうー。後悔するってw」と何度も何度も。
で、確かにコージーコーナーのケーキではあったんだけど、なんか妙に美味しかったです。
散々めんどくせーとごねてすまねー><
って誕生日の話はもういいってw
ともあれ、そんな感じで、微妙に休みなく仕事してた感じだったので、次の日予定入れるの面倒だったという。
・・・つーことは、あらかじめそういう事態を予測してたのかという質問には(ry
2.キリスト教徒だから
ごめんなさい、ぶっちゃけウソです。
でも、教会で祈るクリスマスも悪くないスよね、元来。
賛美歌とか歌うの、実はスキなんですよ。
いや、音楽的に、っつーだけの話。
3.応募用紙をシコシコしてた
えー、また微妙な書き方をするオレを許して(*´д`*)
実は、この日社内の公募で、ひとつ募集が出てたものの締め切りがあったんです。
本当は仕事の細かい話をあまり日記上でするのはためらわれるんですが、まあ今回だけ。
というか、書かないとここまでの前フリが・・・w
でも、やっぱりFF日記から少し外れるので、あえて小さい字で書いてみるテスツ。
まあ、ちょくちょく書いてるように、僕は今某金融機関で資産運用のアドバイザーをしています。
が、まあ言ってみればリテールバンキングにおけるセールスのスタッフなわけですが。
セールスといっても、コンサルティング要素が主になるため、単純なセールスとも異なるのがアレでソレ、みたいな。
(注:本人もよくわかっていませんw)
公募があったのは、その上の部門にあたる部署で、要は全国の本支店の管轄をする部署で、当然場所は本店。
本店は東京の官公庁が集まるド真中ですけどね、金融機関の場合^^;
元々そういった部門の特性上、人数が少ない&外部からのエリートさんが多いんですが、公募内容というのが、
「セールスプランニング」という仕事だったんです。
名前がまたカタカナなので中身が見えない感じですが、内容をもうちっと読んでみると・・・。
僕が元々携わっていたようなリテールバンキングにおけるセールスの収益の最大化を目指し、その結果を検証することにより、より効率的な体制を確立するとのこと。
具体的には、プロダクト(商品)の導入企画・実行とか、セミナーをはじめ、そういったコンサルティングセールスに有用な手段をいくつか確立し、提供する感じ。
そして、
募集人員:1名
そんなわけで、まあ若造がやる仕事じゃないしなーlolololという感じで放置気味だったんスよね。
部署的にハードルが高いってのもあったけど、基本的に今回の職務の場合、その人の意見の組み立て方如何で部門の収益を揺らがす=会社の収益が変わるわけで。
中の人、アフォではありますが、現在東証第1部に上場してるところに勤めてるので、そこまで自分を買いかぶることがずっとできずにいました。
ただ、イブ、ぶっちゃけ仕事も立てこんでたんですが、どうせ帰れないなら素直に家帰るのもアレだしー。
まあまじめな話をすれば、前日の日記に書いたように、より俯瞰的かつ内部からの価値観の転換を図れることにより、より自分の出来ることが明確化されるような気がして。
なにより、外からの視点を与えてもらってた以上、今度はより内側から見た視点もあればなあっていう欲求もあったし。
あと、何より自分にとって決め手になったのが、「クリエイティブな思考をもち、企画を実行、検証まで実施できる」という条件の部分でした。
その下に英語がなんちゃらとかPCスキルがなんちゃらとか書いてあったのはぶっちゃけ読んでません(´∀`*)←アフォ
そんなわけで、しない後悔するよりしてからする後悔のがイイ!と想い、記念受験の勢いでとりあえずがーっとエクセルで募集資料を作ってたんです。
クリスマスイブに。
−次の日付に続きます。(またか!w)
時期外れなのにも理由があるので、まあ後ほど。
#こうしてどんどん首絞めてるアフォがいるのはここですか?
その日の夜、オレはなぜか支店長とマネージャー(こちらは女性)とご飯&お酒を共にしていました。
まあ、これには色々な事情があるんですw
別にどんなイブだろうがいいと思うのも事実ですけど、一応ネタでさw
っていうか言い訳させてー・゜・(ノ∀`)・゜・。
1.前日が誕生日だった
23日が誕生日だったんです。
めでたくもなく、2*歳になりました。
基本的にもう20超えてからはうれしくないのですがw
この日は東京で某黒タルに誕生日を祝ってもらってたんですが、まあ流れで夜泊まることになりました。
−次の日、仕事ですよ、スーツ着てorz
仕方なく3時ごろちょっとだけ寝かせてもらって、6時に家に向かって出発しました。
8時前について、スーツ着て出かけて・・・はー、なんだこれw
ちなみに、誕生日、ケーキなんてめんどくせーよ、という僕に、黒タルがうるさくてですね^^;
「記念だし、買おうー。後悔するってw」と何度も何度も。
で、確かにコージーコーナーのケーキではあったんだけど、なんか妙に美味しかったです。
散々めんどくせーとごねてすまねー><
って誕生日の話はもういいってw
ともあれ、そんな感じで、微妙に休みなく仕事してた感じだったので、次の日予定入れるの面倒だったという。
・・・つーことは、あらかじめそういう事態を予測してたのかという質問には(ry
2.キリスト教徒だから
ごめんなさい、ぶっちゃけウソです。
でも、教会で祈るクリスマスも悪くないスよね、元来。
賛美歌とか歌うの、実はスキなんですよ。
いや、音楽的に、っつーだけの話。
3.応募用紙をシコシコしてた
えー、また微妙な書き方をするオレを許して(*´д`*)
実は、この日社内の公募で、ひとつ募集が出てたものの締め切りがあったんです。
本当は仕事の細かい話をあまり日記上でするのはためらわれるんですが、まあ今回だけ。
というか、書かないとここまでの前フリが・・・w
でも、やっぱりFF日記から少し外れるので、あえて小さい字で書いてみるテスツ。
まあ、ちょくちょく書いてるように、僕は今某金融機関で資産運用のアドバイザーをしています。
が、まあ言ってみればリテールバンキングにおけるセールスのスタッフなわけですが。
セールスといっても、コンサルティング要素が主になるため、単純なセールスとも異なるのがアレでソレ、みたいな。
(注:本人もよくわかっていませんw)
公募があったのは、その上の部門にあたる部署で、要は全国の本支店の管轄をする部署で、当然場所は本店。
本店は東京の官公庁が集まるド真中ですけどね、金融機関の場合^^;
元々そういった部門の特性上、人数が少ない&外部からのエリートさんが多いんですが、公募内容というのが、
「セールスプランニング」という仕事だったんです。
名前がまたカタカナなので中身が見えない感じですが、内容をもうちっと読んでみると・・・。
僕が元々携わっていたようなリテールバンキングにおけるセールスの収益の最大化を目指し、その結果を検証することにより、より効率的な体制を確立するとのこと。
具体的には、プロダクト(商品)の導入企画・実行とか、セミナーをはじめ、そういったコンサルティングセールスに有用な手段をいくつか確立し、提供する感じ。
そして、
募集人員:1名
そんなわけで、まあ若造がやる仕事じゃないしなーlolololという感じで放置気味だったんスよね。
部署的にハードルが高いってのもあったけど、基本的に今回の職務の場合、その人の意見の組み立て方如何で部門の収益を揺らがす=会社の収益が変わるわけで。
中の人、アフォではありますが、現在東証第1部に上場してるところに勤めてるので、そこまで自分を買いかぶることがずっとできずにいました。
ただ、イブ、ぶっちゃけ仕事も立てこんでたんですが、どうせ帰れないなら素直に家帰るのもアレだしー。
まあまじめな話をすれば、前日の日記に書いたように、より俯瞰的かつ内部からの価値観の転換を図れることにより、より自分の出来ることが明確化されるような気がして。
なにより、外からの視点を与えてもらってた以上、今度はより内側から見た視点もあればなあっていう欲求もあったし。
あと、何より自分にとって決め手になったのが、「クリエイティブな思考をもち、企画を実行、検証まで実施できる」という条件の部分でした。
その下に英語がなんちゃらとかPCスキルがなんちゃらとか書いてあったのはぶっちゃけ読んでません(´∀`*)←アフォ
そんなわけで、しない後悔するよりしてからする後悔のがイイ!と想い、記念受験の勢いでとりあえずがーっとエクセルで募集資料を作ってたんです。
クリスマスイブに。
−次の日付に続きます。(またか!w)
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2005 |
01,11 |
«夜明け前»
人生の野望、っつーのがあるとしたら、自分の場合、神の視座を手にいれること、なのかもしれません。
わかりやすく言い換えると、平たく「現代に生きる人間とはこういう存在だ」ということを理解できるようになりたい、という感じ?
こうやって書くとめちゃめちゃ傲慢な願望っぽいスね・・・すいませんすいませn
そう思うようになったのは、多分自分という人間が何よりミステリーだったからなのかもしれません。
自分自身、色々な考えの元で成り立ってるわけですが、自分が成長するにつれ、その由縁であるところとかってのを不思議に思うようになりました。
そして、自分を不思議に思うということは、それとの対比になる周りの人に対する意識も生まれてくるわけで。
今日はそんなちょっと堅苦しい話なんで、苦手な方マジすいませんw
そんな感じで自分の野望が今の人間という存在を包括的に理解したいというものになったのは、大学時代お世話になった教授のとある言葉だったんです。
その授業は、現代思想および社会学の授業だったんですけれど。
たまたま午後一番の授業で、教室がお昼ご飯を食べたりする人で妙にざわついてたときのこと。
「君たち、うるさくするのはまったく構わないけれど」とその教授が突然口を開きました。
「今から僕がしゃべる内容を君たちがちゃんと知ってるなら、それはそれで構わないと思う。
でも、無知なることは、人を傷つける刃になるんだよ。だから、僕は君たちに、自分たちの常識が他の人の常識でないということを知識で知ってもらえればと思う」と。
なんかお気楽にのほほんーと生きてきた自分にとって、頭ガツーンとやられたんスよ、この一言が。
それまで、自分の創造性とかばっかりに気を取られてて、アウトプットする側の認識というのがどうにも欠けて独り善がりになってたんだな、とか。
んなわけで、それ以降、自分が知らない、ということがない状態で相手を見れるように、ということを思いながら、自分のモノづくりに対するスタンスを維持してきたような気がするんです。
それが、冒頭に書いた野望につながってくるわけですが・・・。
結果、今の金融機関での仕事を選んだんですが、これはどちらかというと、自分のインプット側に対するメリットを重視したからだったんだけど、仕事に実際携わってからちょっぴり考え方も変化してきて。
学生時代ってぼんやりとクリエイティブな仕事がしたいなーとか、やっぱり夢ばっかり持ってる時期だったんで、そんなことばっかり思ってたんスよ。
それが、結果的に仕事についてみると、どんな仕事でも創造性の余地があるというか・・・理屈ではなく実感としてきちんと根付いてきたところがあったのかなあ。。。
思った以上に自分の個を生かせる場所だったってのと、実はインプット以上にそれをすぐにアウトプットできる場所として有用だったなあと振り返ってみても思いまっす。
そんなわけで、最初はインプットするだけして、さっさと退散的に考えていた今の環境も、やりだしたら面白く&欲が色々出てきちゃったりもして。
実は、この反対側には、さっさとやめていく同期の姿がある種「カッコイイ」ことになってしまってる現状が気に食わないからってのもあるんですがw
なんつーか、基本的にあまのじゃくなんスよ(ノ∀`)
がっついてやったり、みんながやってることをやってるのがカッコ悪い的な風潮がどこかあって。
マイノリティー志向というわけじゃないはずなんだけどな^^;
結果的には、みんなが売れないようなプロダクトを如何に売ったりとか、普通に聞こえないような和声を如何に普通に聞かせるか、とかそんなことに苦心してるような感じだし・・・あまのじゃくっしょ?w
と、前置きが長くなりましたが、実はそんなことを最近思って毎日を送っていたんです。
ただ、それなりに10月以降そんなことを考えつつやってて、なんとなしにいい評価をもらってしまって・・・という循環が心地よい半面で、果てしない不安のスパイラルにもなってきて。
確かに、一番一般の人の視点に近いところからの吸収が図れる半面で、俯瞰的な視座に立つのが難しかったり。
何より、相手の価値観を吸収した後のアウトプットとして、何らかの価値観を揺らがす行為というのをもっと体現したいという欲求が出てきたり。
それに伴う形で、ちょっとした出来事がありまして・・・と長くなってしまったので、続きはキリもいいし、次の日にまわしまっす。
いつもこうやって引っ張って、首絞めてる気が果てしなくするんだけど・・・気のせいさw
わかりやすく言い換えると、平たく「現代に生きる人間とはこういう存在だ」ということを理解できるようになりたい、という感じ?
こうやって書くとめちゃめちゃ傲慢な願望っぽいスね・・・すいませんすいませn
そう思うようになったのは、多分自分という人間が何よりミステリーだったからなのかもしれません。
自分自身、色々な考えの元で成り立ってるわけですが、自分が成長するにつれ、その由縁であるところとかってのを不思議に思うようになりました。
そして、自分を不思議に思うということは、それとの対比になる周りの人に対する意識も生まれてくるわけで。
今日はそんなちょっと堅苦しい話なんで、苦手な方マジすいませんw
そんな感じで自分の野望が今の人間という存在を包括的に理解したいというものになったのは、大学時代お世話になった教授のとある言葉だったんです。
その授業は、現代思想および社会学の授業だったんですけれど。
たまたま午後一番の授業で、教室がお昼ご飯を食べたりする人で妙にざわついてたときのこと。
「君たち、うるさくするのはまったく構わないけれど」とその教授が突然口を開きました。
「今から僕がしゃべる内容を君たちがちゃんと知ってるなら、それはそれで構わないと思う。
でも、無知なることは、人を傷つける刃になるんだよ。だから、僕は君たちに、自分たちの常識が他の人の常識でないということを知識で知ってもらえればと思う」と。
なんかお気楽にのほほんーと生きてきた自分にとって、頭ガツーンとやられたんスよ、この一言が。
それまで、自分の創造性とかばっかりに気を取られてて、アウトプットする側の認識というのがどうにも欠けて独り善がりになってたんだな、とか。
んなわけで、それ以降、自分が知らない、ということがない状態で相手を見れるように、ということを思いながら、自分のモノづくりに対するスタンスを維持してきたような気がするんです。
それが、冒頭に書いた野望につながってくるわけですが・・・。
結果、今の金融機関での仕事を選んだんですが、これはどちらかというと、自分のインプット側に対するメリットを重視したからだったんだけど、仕事に実際携わってからちょっぴり考え方も変化してきて。
学生時代ってぼんやりとクリエイティブな仕事がしたいなーとか、やっぱり夢ばっかり持ってる時期だったんで、そんなことばっかり思ってたんスよ。
それが、結果的に仕事についてみると、どんな仕事でも創造性の余地があるというか・・・理屈ではなく実感としてきちんと根付いてきたところがあったのかなあ。。。
思った以上に自分の個を生かせる場所だったってのと、実はインプット以上にそれをすぐにアウトプットできる場所として有用だったなあと振り返ってみても思いまっす。
そんなわけで、最初はインプットするだけして、さっさと退散的に考えていた今の環境も、やりだしたら面白く&欲が色々出てきちゃったりもして。
実は、この反対側には、さっさとやめていく同期の姿がある種「カッコイイ」ことになってしまってる現状が気に食わないからってのもあるんですがw
なんつーか、基本的にあまのじゃくなんスよ(ノ∀`)
がっついてやったり、みんながやってることをやってるのがカッコ悪い的な風潮がどこかあって。
マイノリティー志向というわけじゃないはずなんだけどな^^;
結果的には、みんなが売れないようなプロダクトを如何に売ったりとか、普通に聞こえないような和声を如何に普通に聞かせるか、とかそんなことに苦心してるような感じだし・・・あまのじゃくっしょ?w
と、前置きが長くなりましたが、実はそんなことを最近思って毎日を送っていたんです。
ただ、それなりに10月以降そんなことを考えつつやってて、なんとなしにいい評価をもらってしまって・・・という循環が心地よい半面で、果てしない不安のスパイラルにもなってきて。
確かに、一番一般の人の視点に近いところからの吸収が図れる半面で、俯瞰的な視座に立つのが難しかったり。
何より、相手の価値観を吸収した後のアウトプットとして、何らかの価値観を揺らがす行為というのをもっと体現したいという欲求が出てきたり。
それに伴う形で、ちょっとした出来事がありまして・・・と長くなってしまったので、続きはキリもいいし、次の日にまわしまっす。
いつもこうやって引っ張って、首絞めてる気が果てしなくするんだけど・・・気のせいさw
2005 |
01,10 |
«素直»
週末、大学のサークルの同級生たちと、伊豆へ旅行に行ってきました!
旅行自体は、めっちゃ楽しかったなあ。
で、旅行を通じて思ったのは、大学の友達ってのは、広くて薄い感じがするってことだったのかも。
別にネガティブな意味ではなくてねw
ある意味お互いの線引きができてるというか、互いが大人の付き合いをしてるというか。
オレの場合中学高校と同じ学校だったからってのもあるけど、当時は互いの領域に踏み込みあって、一つの共同領域の中で動くような感覚だったからなのかもしれないスけど。
大学の友達は完全に切れるってことは多分なくて、本当に切れてるようで、いつでも復活できるというか・・・。
言葉にしにくいけど、大学の友達と会ってると刺激はすごくあるんです、やっぱり。
それは、お互いの世界で生きてるからなんでしょうけどね^^;
でもね、今回の旅行、僕は少し切なかった。
誰にもいえなかったんスけど。
それは、オレが大学1年だった冬の時のお話。
当時学園祭実行委員をやってて、一緒に企画をやってた女の子がいたんです。
背が高くて明るくて、アイディア出しなんかにも物怖じせずに出していく姿勢がすごく眩しく見えたのを今でもよく覚えてたり。
で、彼女には当時彼氏がいたこともあって、特に意識したりはなかったんスよ、最初。
(追記:よく考えたら、当時オレにも彼女いたんだっけw忘れてた^^;)
ただ、企画進めてくうちに、めちゃめちゃ気があったというか。。。お互いなんか意識しだしたというかw
お互いの趣味であったり、考え方とかってのが、今まで出会った人以上になんか気になって。
そして、よくある話なのかもしれないけど、しばらくして彼女が付き合ってた彼氏とうまくいかなくなって、色々相談にのるようになりました。
で、家に遊びにいったり、という感じになってたんだけど、結局お互い最後のところが越えられずじまいだったんスよね。
それなりに互いが大事だということを言葉で伝えつつも、結局はそこからはみ出したことができなくて。
そうして、冬が過ぎ、春が過ぎました。
夏本番。
2年になって学園祭本番直前になってくると、やっぱり色々仕事上のトラブルとかも出てくるわけです。
僕らの場合も案の定というか、パンフレットに載せる広告枠が一つたりなくなっちゃって。
どこかにひとつスペースをという話だったんだけど、うちの企画のところに、関係ない企業の広告を載せないかって話を彼女が持ちかけてきたんです。
でも、彼女はもともとうちの企画の人間なわけで・・・。
本来、その企画やる人は、自分がスポンサーを探してきて、そこの広告を載せるのが決まりになってたんで、基本的にはそれはイレギュラーな扱いになっちゃうんですよ。
それでも、ふつうだったら、まあいいかってなるか、もしくはいやー、やっぱりやめよwっていう反応だと思うんですが、当時の僕にはそういう大人の対応ができませんでした・・・。
要は、大人気なくちょっと怒っちゃったんスよ、オレが><
・・・やっぱり自分の味方をしてくれなかったってのがオレなりにショックだったみたいでさ。
で、すっごい気まずくなって、というかオレがちょっぴりシカトこいてた時期もあったりして(ごめん^^;)
それは、それだけ彼女のことを自分が全幅の信頼を置いてたあらわれに他ならないんですけどね。
その後、仲直りはしたものの、もう元の関係には戻らなくて。
実行委員会が終わった後は、基本的に殆ど交流がなくなっちゃいました。
ま、それも仕方ないし、また時間が経てば関係も変わるんじゃないかな、とは思ってたんスけどねw
で、今回旅行に来てみたら、彼女がきてたんだけど、
なんと結婚してましたwww
ちょっとね・・・やっぱり切なかったよ。
別にもう恋愛感情は残ってないけどさ。
それでも、なんか時間がたっちゃったんだな、ってのを痛切に思っちゃって。
忘れてたつもりだったけれど、たしかにあそこで足踏みしてる自分も、存在してたんだなと思ったんスよね。
そんなわけで、珍しく感傷的な気分に浸ってました。
あのときもっと素直になってれば、ってのは悔しいけど思っちゃったのは事実。
別にね、だからいまさらどうこうって話でもないし、それから自分も色々な出会いがあったりもしたわけですけどね^^;
こういうことがあるから、基本的にはしなかった後悔より、してからする後悔のがいいって思うようになったのかもしれません。
友達同士の間だと、結構先に言葉が出たり、しようっていう意思を示しちゃうことが多いんだけど、それは多分そういった考えの表れなのかもしんない。
そして、色々なことを思ったんだけど・・・。
なんつーのかな・・・終わってしまった出来事ながら、そのまま置き去りにされた自分がどこかにいるような、そんな気持ち。
それから自分がいくつもの恋を経ても、結局このときの想いは宙に浮いたままだったから。
でも、だからこそ、そういった想いも含めて、胸張って歩いていたいなって思います。
そんな自分があるから、今の自分があるんだってちゃんと思えるように。
旅行自体は、めっちゃ楽しかったなあ。
で、旅行を通じて思ったのは、大学の友達ってのは、広くて薄い感じがするってことだったのかも。
別にネガティブな意味ではなくてねw
ある意味お互いの線引きができてるというか、互いが大人の付き合いをしてるというか。
オレの場合中学高校と同じ学校だったからってのもあるけど、当時は互いの領域に踏み込みあって、一つの共同領域の中で動くような感覚だったからなのかもしれないスけど。
大学の友達は完全に切れるってことは多分なくて、本当に切れてるようで、いつでも復活できるというか・・・。
言葉にしにくいけど、大学の友達と会ってると刺激はすごくあるんです、やっぱり。
それは、お互いの世界で生きてるからなんでしょうけどね^^;
でもね、今回の旅行、僕は少し切なかった。
誰にもいえなかったんスけど。
それは、オレが大学1年だった冬の時のお話。
当時学園祭実行委員をやってて、一緒に企画をやってた女の子がいたんです。
背が高くて明るくて、アイディア出しなんかにも物怖じせずに出していく姿勢がすごく眩しく見えたのを今でもよく覚えてたり。
で、彼女には当時彼氏がいたこともあって、特に意識したりはなかったんスよ、最初。
(追記:よく考えたら、当時オレにも彼女いたんだっけw忘れてた^^;)
ただ、企画進めてくうちに、めちゃめちゃ気があったというか。。。お互いなんか意識しだしたというかw
お互いの趣味であったり、考え方とかってのが、今まで出会った人以上になんか気になって。
そして、よくある話なのかもしれないけど、しばらくして彼女が付き合ってた彼氏とうまくいかなくなって、色々相談にのるようになりました。
で、家に遊びにいったり、という感じになってたんだけど、結局お互い最後のところが越えられずじまいだったんスよね。
それなりに互いが大事だということを言葉で伝えつつも、結局はそこからはみ出したことができなくて。
そうして、冬が過ぎ、春が過ぎました。
夏本番。
2年になって学園祭本番直前になってくると、やっぱり色々仕事上のトラブルとかも出てくるわけです。
僕らの場合も案の定というか、パンフレットに載せる広告枠が一つたりなくなっちゃって。
どこかにひとつスペースをという話だったんだけど、うちの企画のところに、関係ない企業の広告を載せないかって話を彼女が持ちかけてきたんです。
でも、彼女はもともとうちの企画の人間なわけで・・・。
本来、その企画やる人は、自分がスポンサーを探してきて、そこの広告を載せるのが決まりになってたんで、基本的にはそれはイレギュラーな扱いになっちゃうんですよ。
それでも、ふつうだったら、まあいいかってなるか、もしくはいやー、やっぱりやめよwっていう反応だと思うんですが、当時の僕にはそういう大人の対応ができませんでした・・・。
要は、大人気なくちょっと怒っちゃったんスよ、オレが><
・・・やっぱり自分の味方をしてくれなかったってのがオレなりにショックだったみたいでさ。
で、すっごい気まずくなって、というかオレがちょっぴりシカトこいてた時期もあったりして(ごめん^^;)
それは、それだけ彼女のことを自分が全幅の信頼を置いてたあらわれに他ならないんですけどね。
その後、仲直りはしたものの、もう元の関係には戻らなくて。
実行委員会が終わった後は、基本的に殆ど交流がなくなっちゃいました。
ま、それも仕方ないし、また時間が経てば関係も変わるんじゃないかな、とは思ってたんスけどねw
で、今回旅行に来てみたら、彼女がきてたんだけど、
なんと結婚してましたwww
ちょっとね・・・やっぱり切なかったよ。
別にもう恋愛感情は残ってないけどさ。
それでも、なんか時間がたっちゃったんだな、ってのを痛切に思っちゃって。
忘れてたつもりだったけれど、たしかにあそこで足踏みしてる自分も、存在してたんだなと思ったんスよね。
そんなわけで、珍しく感傷的な気分に浸ってました。
あのときもっと素直になってれば、ってのは悔しいけど思っちゃったのは事実。
別にね、だからいまさらどうこうって話でもないし、それから自分も色々な出会いがあったりもしたわけですけどね^^;
こういうことがあるから、基本的にはしなかった後悔より、してからする後悔のがいいって思うようになったのかもしれません。
友達同士の間だと、結構先に言葉が出たり、しようっていう意思を示しちゃうことが多いんだけど、それは多分そういった考えの表れなのかもしんない。
そして、色々なことを思ったんだけど・・・。
なんつーのかな・・・終わってしまった出来事ながら、そのまま置き去りにされた自分がどこかにいるような、そんな気持ち。
それから自分がいくつもの恋を経ても、結局このときの想いは宙に浮いたままだったから。
でも、だからこそ、そういった想いも含めて、胸張って歩いていたいなって思います。
そんな自分があるから、今の自分があるんだってちゃんと思えるように。
2005 |
01,09 |
«2周年の歩み»
つーわけで、FF2周年を振り返ろう企画の後編。
というか、これからが本番だったw
■2003年1月
紆余曲折の末、ヴァナディールの世界に降り立つ。
名前は決めてたものの、種族とジョブが決まらずずいぶん四苦八苦する。
決め手になったのは、限定BOXの中にウィンダスのリストバンドが入ってたから。
ウィンダスにする=タルタルに有利ってのは聞いていたので、タルタルをチョイス。
モンクに関しては、タルタルを選択した時点でずいぶん悩んだけど、元々やりたかったジョブだったので、このまま選択しました。
ちなみに、初日の日記がまだ手元にあるんですが、読み返したらすごく感慨深くなってしまいました。
街が広すぎてわけがわからないこと、戦闘しようにも武器がなくて困っていたこと、死にかけてたときにかけてもらったはじめてのケアルに泣きそうになったこと。
やっぱり、ヴァナディールってのは、今も昔もそういう優しい世界だったんスよね・・・。
■2003年2月
月の初めには、初めてのボス戦であるドラゴン戦をクリア。
そして、この月の大きな出来事は、初めてもらったリンクシェルを離れたことでした。
現在、このリンクシェルは存続しているものの、旧来のメンバーは殆ど去ってしまいまして。
それも、多分自分が離れたことがきっかけだったようで、ちょっとばかし胸を痛めました。
この当時は、ずっとモンク/白魔道士というジョブの組み合わせだったんですが、今から考えると、これでよく誘ってもらってたな、とw
■2003年3月
とあるきっかけがあって、固定のパーティーを組むことになりました。
元のリンクシェルのメンバー4人に、野良パーティーで2人一緒になったメンバー。
すごく楽しくて、メンバー構成に難があったものの、レベル50近くまでずっと一緒でした。
戦士×2、モンク、赤魔道士×2、白魔道士って、やっぱり偏ってるよなあ。。。
このメンバーと一緒に、飛空挺パスを貰える大きなミッションをはじめ、さまざまなミッションをやりました。
そして、この6人で、新しいリンクシェルを立ち上げることにして、それがずっと自分の支えになってくれたLSになるわけなんです。
もっとも、今や解体しちゃったんスけどね^^;
■2003年4月
この時期にようやく限界突破クエストをこなしました。死にまくったけどさw
そして、いよいよ拡張ディスクが導入され、あちこちに出かけまくりました。
モンクLv51とかで、砂丘をうろついていると、当然危険なので、からまれて何度か死にましたけどねw
■2003年5月
レベルも50代半ばに突入し、アーティファクト装備をそろえる日々。
レベル60という大きな目標に近づいてきた時期で、この頃がなんだかんだで一番はまっていたような気がします。
自分でリーダーをやる機会もあり、いろいろアグレッシブに活動した時期でした。
■2003年6月
ついにモンクレベル60を達成。
そして、目標だった闇の王も討伐し、ほっと一息つくことができました。
また、同じくモンクの目標だった茶帯も自力でゲットし、涙がこぼれそうな感じだったのをよく覚えてます。
一方、仲がよかったフレンドが姿を消したりしたのと、経験値の入り方が61以降で変化してしまい、パーティーを組みづらくなってしまって。。。
仕方なく、白魔道士のレベル上げにチェンジ。
サポートジョブである黒魔道士のレベル上げをしながら、白魔道士もLv47まであがりました。
■2003年7月
7/17のバージョンアップにより、再び経験値の入り方が変わり、レベルキャップも70になりました。
ということで、このタイミングで再びモンクのレベル上げ開始。
フレンドのナイトさんをお供に、よくレベル上げに行ってました。
あと、バージョンアップで花火が大量に追加されたので、よく花火大会やったっけw
■2003年8月
レベル上げ、ミッション共に順調で、この当時最高ランクだったミッションランク9になりました。
この頃、野良パーティーで妙に誘ってもらえるようになり、しかも組んだ人からフレンド登録をいきなり申し込まれることが結構あったのがびっくりでした。
しかも、レベルが自分より一つ二つ、下手すりゃ3つ上からお誘いきてたんだよな。。。
タルモンクなんですが、いいんでしょうか(−−;
■2003年9月
サポシーフの重要性に気づき始め、慌ててシーフをやりました。
とんずらで初めて走ったとき、その世界の揺らぎにすごく衝撃を受けたのを今でもよく覚えてます。
そして、モンクもレベル70に、さらにはジラートミッションを進行し、トゥーリアに行くことができるようになりました。
ぶっちゃけやり尽くした、と当時は思ってたんだよなあ^^;
とりあえず、サポートジョブの戦士やシーフも35まで上がってしまい、やることに困ってた時期だったり。。。
なんとなしに、とりあえずアーティファクトねらいで白魔道士を再開した時期でした。
■2003年10月
白魔道士もついにレベル60に。
また、ver.upで最終ミッションが追加され、ウィンダス国ランク10になりました。
ここでの戦闘は本当に苦労しただけあって、最後泣いてるメンバーもいたくらい。
それくらいに感動的な出来事でした。
んで、早速バストゥークへ移籍したものの、、、イマイチなじめなかったなあ・・・今ではそれなりに愛着もあるんですが。
また、この時期ってちょうどハロウィーンイベントがやってて、みんながみんなかぼちゃ頭をかぶっていたのが印象的でしたw
■2003年11月
ここ最近はずっとサンドリア国がコンクエスト1位だったんですが、たまたま最下位になったときを狙って移籍。
んで、3カ国のランクがランク6になりました。
白もLv67になったものの、そろそろヘキサどうしよう、ってな感じになってきたんだよね。
■2003年12月
ついに、最後の限界突破クエストが。
無事にマートには1発で勝てたんですが、、、結局、12月の時点ではなかなかパーティーも組めず、Lv72で終了。
ただ、夢想阿修羅拳を覚えることができたんで、あちこちで打ちまくっててちょっとニンマリでした^^
また、このときに初めてFFの友達とリアルで会うという経験が。
さて、2004年に関しては、12月の時点でのまとめでもちょっと触れていたので、詳細は省略。
ちょっとだけまとめると、
・モンクがLv75に
・Diarynoteでblogを書き始める
・サボってた白もレベルを上げて、1年くらいかかってLv75に
・シーフもレベル上がり、Lv69に
・お空のLSにもちょっぴり参加、忙しくて最近はまったくご無沙汰状態ですがorz
・LSが解体、バラバラになる
・夏ごろは相方とケンカしまくってマジで鬱でした^^;
・10月辺りから、仕事のスタンスが変わり、ログインが不規則に
・時間ない間を見計らって釣りをはじめる
・オフでの付き合いが広がる、特に1人のヤツはもっぱらオフでの付き合いに
という感じでしょうか。
モチベーションもずいぶん変わっちゃったけれど、今でもヴァナディール及びこの世界で息づく人たちが好きだってことには変わりなく。
細く長くになるかもしれないけど、こうやってヴァナディールの片隅からぼんやりと釣りでもして生活してければなあって思います。
まあ、まずは3周年に向けて、ぼちぼちがんばりますかw
というか、これからが本番だったw
■2003年1月
紆余曲折の末、ヴァナディールの世界に降り立つ。
名前は決めてたものの、種族とジョブが決まらずずいぶん四苦八苦する。
決め手になったのは、限定BOXの中にウィンダスのリストバンドが入ってたから。
ウィンダスにする=タルタルに有利ってのは聞いていたので、タルタルをチョイス。
モンクに関しては、タルタルを選択した時点でずいぶん悩んだけど、元々やりたかったジョブだったので、このまま選択しました。
ちなみに、初日の日記がまだ手元にあるんですが、読み返したらすごく感慨深くなってしまいました。
街が広すぎてわけがわからないこと、戦闘しようにも武器がなくて困っていたこと、死にかけてたときにかけてもらったはじめてのケアルに泣きそうになったこと。
やっぱり、ヴァナディールってのは、今も昔もそういう優しい世界だったんスよね・・・。
■2003年2月
月の初めには、初めてのボス戦であるドラゴン戦をクリア。
そして、この月の大きな出来事は、初めてもらったリンクシェルを離れたことでした。
現在、このリンクシェルは存続しているものの、旧来のメンバーは殆ど去ってしまいまして。
それも、多分自分が離れたことがきっかけだったようで、ちょっとばかし胸を痛めました。
この当時は、ずっとモンク/白魔道士というジョブの組み合わせだったんですが、今から考えると、これでよく誘ってもらってたな、とw
■2003年3月
とあるきっかけがあって、固定のパーティーを組むことになりました。
元のリンクシェルのメンバー4人に、野良パーティーで2人一緒になったメンバー。
すごく楽しくて、メンバー構成に難があったものの、レベル50近くまでずっと一緒でした。
戦士×2、モンク、赤魔道士×2、白魔道士って、やっぱり偏ってるよなあ。。。
このメンバーと一緒に、飛空挺パスを貰える大きなミッションをはじめ、さまざまなミッションをやりました。
そして、この6人で、新しいリンクシェルを立ち上げることにして、それがずっと自分の支えになってくれたLSになるわけなんです。
もっとも、今や解体しちゃったんスけどね^^;
■2003年4月
この時期にようやく限界突破クエストをこなしました。死にまくったけどさw
そして、いよいよ拡張ディスクが導入され、あちこちに出かけまくりました。
モンクLv51とかで、砂丘をうろついていると、当然危険なので、からまれて何度か死にましたけどねw
■2003年5月
レベルも50代半ばに突入し、アーティファクト装備をそろえる日々。
レベル60という大きな目標に近づいてきた時期で、この頃がなんだかんだで一番はまっていたような気がします。
自分でリーダーをやる機会もあり、いろいろアグレッシブに活動した時期でした。
■2003年6月
ついにモンクレベル60を達成。
そして、目標だった闇の王も討伐し、ほっと一息つくことができました。
また、同じくモンクの目標だった茶帯も自力でゲットし、涙がこぼれそうな感じだったのをよく覚えてます。
一方、仲がよかったフレンドが姿を消したりしたのと、経験値の入り方が61以降で変化してしまい、パーティーを組みづらくなってしまって。。。
仕方なく、白魔道士のレベル上げにチェンジ。
サポートジョブである黒魔道士のレベル上げをしながら、白魔道士もLv47まであがりました。
■2003年7月
7/17のバージョンアップにより、再び経験値の入り方が変わり、レベルキャップも70になりました。
ということで、このタイミングで再びモンクのレベル上げ開始。
フレンドのナイトさんをお供に、よくレベル上げに行ってました。
あと、バージョンアップで花火が大量に追加されたので、よく花火大会やったっけw
■2003年8月
レベル上げ、ミッション共に順調で、この当時最高ランクだったミッションランク9になりました。
この頃、野良パーティーで妙に誘ってもらえるようになり、しかも組んだ人からフレンド登録をいきなり申し込まれることが結構あったのがびっくりでした。
しかも、レベルが自分より一つ二つ、下手すりゃ3つ上からお誘いきてたんだよな。。。
タルモンクなんですが、いいんでしょうか(−−;
■2003年9月
サポシーフの重要性に気づき始め、慌ててシーフをやりました。
とんずらで初めて走ったとき、その世界の揺らぎにすごく衝撃を受けたのを今でもよく覚えてます。
そして、モンクもレベル70に、さらにはジラートミッションを進行し、トゥーリアに行くことができるようになりました。
ぶっちゃけやり尽くした、と当時は思ってたんだよなあ^^;
とりあえず、サポートジョブの戦士やシーフも35まで上がってしまい、やることに困ってた時期だったり。。。
なんとなしに、とりあえずアーティファクトねらいで白魔道士を再開した時期でした。
■2003年10月
白魔道士もついにレベル60に。
また、ver.upで最終ミッションが追加され、ウィンダス国ランク10になりました。
ここでの戦闘は本当に苦労しただけあって、最後泣いてるメンバーもいたくらい。
それくらいに感動的な出来事でした。
んで、早速バストゥークへ移籍したものの、、、イマイチなじめなかったなあ・・・今ではそれなりに愛着もあるんですが。
また、この時期ってちょうどハロウィーンイベントがやってて、みんながみんなかぼちゃ頭をかぶっていたのが印象的でしたw
■2003年11月
ここ最近はずっとサンドリア国がコンクエスト1位だったんですが、たまたま最下位になったときを狙って移籍。
んで、3カ国のランクがランク6になりました。
白もLv67になったものの、そろそろヘキサどうしよう、ってな感じになってきたんだよね。
■2003年12月
ついに、最後の限界突破クエストが。
無事にマートには1発で勝てたんですが、、、結局、12月の時点ではなかなかパーティーも組めず、Lv72で終了。
ただ、夢想阿修羅拳を覚えることができたんで、あちこちで打ちまくっててちょっとニンマリでした^^
また、このときに初めてFFの友達とリアルで会うという経験が。
さて、2004年に関しては、12月の時点でのまとめでもちょっと触れていたので、詳細は省略。
ちょっとだけまとめると、
・モンクがLv75に
・Diarynoteでblogを書き始める
・サボってた白もレベルを上げて、1年くらいかかってLv75に
・シーフもレベル上がり、Lv69に
・お空のLSにもちょっぴり参加、忙しくて最近はまったくご無沙汰状態ですがorz
・LSが解体、バラバラになる
・夏ごろは相方とケンカしまくってマジで鬱でした^^;
・10月辺りから、仕事のスタンスが変わり、ログインが不規則に
・時間ない間を見計らって釣りをはじめる
・オフでの付き合いが広がる、特に1人のヤツはもっぱらオフでの付き合いに
という感じでしょうか。
モチベーションもずいぶん変わっちゃったけれど、今でもヴァナディール及びこの世界で息づく人たちが好きだってことには変わりなく。
細く長くになるかもしれないけど、こうやってヴァナディールの片隅からぼんやりと釣りでもして生活してければなあって思います。
まあ、まずは3周年に向けて、ぼちぼちがんばりますかw
2005 |
01,08 |
今日で、FF11の世界に飛び込んでから2年が経ちました。
これだけ長く、ひとつのゲームに携わることは、飽きっぽい自分にしては本当に珍しいことでした。
一時期は、本当に生活の一部になっちゃうくらいに、プライベートの半分くらいをFFに入れ込んでた気がします。
今は、ログイン時間がずいぶん減ってしまったけれど、それでもヴァナディールへの愛着は変わることはないと思ってて。
ということで、おめでとう俺キャンペーンを勝手に実施しますw
とりあえず、この2年を大まかに振り返ってみる企画。
といいつつ、年表はもう少し前からはじまりますが^^;
書いてたら長くなっちゃったので、とりあえずまずはFF11準備編、でっす。
■2001年7月
FF10を購入。
付録のDVDでFF11の映像を見て思ったのは、映像しょぼいwということでした。
まあ、この時点では完成の絵じゃなかったのと、そもそもムービーとリアルタイム描画を比べるのがいけないんスけど^^;
■2001年10月
どこかで申し込んだらしいPOLのβ版キットが届くものの、アナログ回線だったため、動かさずに終了w
このときのキットで、ずいぶん心動いたのは事実です。
■2002年5月
FF11サービス開始。
興味ねーとかいいつつも、FF好きとしてはなんとなく気になる始末。
そもそも、ファミ通とかでやってたβ版の模様がたまらなく面白そうだったんスよね。
でも、BBユニットがゲットできる環境になかったので、すぐにあきらめモード。
というのも・・・この時点ではまだブロードバンド環境じゃなかったんですよw
■2002年7月
WEBを俳諧してたとき、ファミ通のサイトに連載されてた、風のように永田さんのFF11日記を見つける。
はじめるまでのドキドキとか、はじめてのパーティー、はじめてのジュノなど、その過程がめちゃめちゃドラマティックに描かれてて、毎日のように日記を楽しみにしてました。
今、書籍化されてるんですが、これがまた読み返すと面白いんだよね。
それで興味が湧いたのか、色々とFF11日記を読みました。
お世話になったのは、今はもう閉鎖してしまったヴァナディール・バックパッカーというサイト。
ソロプレイ中心&SSの多いサイトさんだったのですが、素敵な言葉の数々に彩られたSSに思わず引き込まれました。
■2002年10月
ようやくヤフーBBに加入するものの、この時点ではFFのことを忘れていました・・・w
■2002年11月
WINDOWS版発売で、俄かに気になってきて、早速うちのVAIOくんにベンチマークを動かしてもらいました。
タルタルが踊り狂うのがかわいいのー(*´Д`*)
そして出たスコア、1200orz
1500以上推奨じゃ、ダメじゃん・・・今思えば、多分これでも動くことは動いたぽいんですけどね^^;
■2002年12月
出会いはひょんなことから。
わたくし、実はFF音楽の父、植松ノビヨさんの大ファンなんですが、そこのサイトに行こうとした矢先、POLのサイトにてこんな文言を発見!
「PSBBユニット特別販売!」
これだーーー!と思いました。
そして、奇しくもこのときはリアル誕生日。
友達が、たまたまゲームショップで見つけたFF11のセット(当時限定BOXが出ていたんです)が安く売られてるのを買ってくれたので、早速BBユニットを購入。
こうして、ヴァナディールの世界が自分に開かれることになったんです。
はじめる前まででずいぶん長くなっちゃったよ^^;
つーわけで、ここまで見てみると、初めてのオンラインに対する恐怖ってのを消すために時間がかかった感じだったかもしれません。
そして、周りでもオンラインゲーをやってる人が誰もいなかったというのもあるのかなあ。
実際FFをはじめた1月以降の出来事はまた次の日記にまわしまっす。
これだけ長く、ひとつのゲームに携わることは、飽きっぽい自分にしては本当に珍しいことでした。
一時期は、本当に生活の一部になっちゃうくらいに、プライベートの半分くらいをFFに入れ込んでた気がします。
今は、ログイン時間がずいぶん減ってしまったけれど、それでもヴァナディールへの愛着は変わることはないと思ってて。
ということで、おめでとう俺キャンペーンを勝手に実施しますw
とりあえず、この2年を大まかに振り返ってみる企画。
といいつつ、年表はもう少し前からはじまりますが^^;
書いてたら長くなっちゃったので、とりあえずまずはFF11準備編、でっす。
■2001年7月
FF10を購入。
付録のDVDでFF11の映像を見て思ったのは、映像しょぼいwということでした。
まあ、この時点では完成の絵じゃなかったのと、そもそもムービーとリアルタイム描画を比べるのがいけないんスけど^^;
■2001年10月
どこかで申し込んだらしいPOLのβ版キットが届くものの、アナログ回線だったため、動かさずに終了w
このときのキットで、ずいぶん心動いたのは事実です。
■2002年5月
FF11サービス開始。
興味ねーとかいいつつも、FF好きとしてはなんとなく気になる始末。
そもそも、ファミ通とかでやってたβ版の模様がたまらなく面白そうだったんスよね。
でも、BBユニットがゲットできる環境になかったので、すぐにあきらめモード。
というのも・・・この時点ではまだブロードバンド環境じゃなかったんですよw
■2002年7月
WEBを俳諧してたとき、ファミ通のサイトに連載されてた、風のように永田さんのFF11日記を見つける。
はじめるまでのドキドキとか、はじめてのパーティー、はじめてのジュノなど、その過程がめちゃめちゃドラマティックに描かれてて、毎日のように日記を楽しみにしてました。
今、書籍化されてるんですが、これがまた読み返すと面白いんだよね。
それで興味が湧いたのか、色々とFF11日記を読みました。
お世話になったのは、今はもう閉鎖してしまったヴァナディール・バックパッカーというサイト。
ソロプレイ中心&SSの多いサイトさんだったのですが、素敵な言葉の数々に彩られたSSに思わず引き込まれました。
■2002年10月
ようやくヤフーBBに加入するものの、この時点ではFFのことを忘れていました・・・w
■2002年11月
WINDOWS版発売で、俄かに気になってきて、早速うちのVAIOくんにベンチマークを動かしてもらいました。
タルタルが踊り狂うのがかわいいのー(*´Д`*)
そして出たスコア、1200orz
1500以上推奨じゃ、ダメじゃん・・・今思えば、多分これでも動くことは動いたぽいんですけどね^^;
■2002年12月
出会いはひょんなことから。
わたくし、実はFF音楽の父、植松ノビヨさんの大ファンなんですが、そこのサイトに行こうとした矢先、POLのサイトにてこんな文言を発見!
「PSBBユニット特別販売!」
これだーーー!と思いました。
そして、奇しくもこのときはリアル誕生日。
友達が、たまたまゲームショップで見つけたFF11のセット(当時限定BOXが出ていたんです)が安く売られてるのを買ってくれたので、早速BBユニットを購入。
こうして、ヴァナディールの世界が自分に開かれることになったんです。
はじめる前まででずいぶん長くなっちゃったよ^^;
つーわけで、ここまで見てみると、初めてのオンラインに対する恐怖ってのを消すために時間がかかった感じだったかもしれません。
そして、周りでもオンラインゲーをやってる人が誰もいなかったというのもあるのかなあ。
実際FFをはじめた1月以降の出来事はまた次の日記にまわしまっす。
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