2005 |
01,11 |
«夜明け前»
人生の野望、っつーのがあるとしたら、自分の場合、神の視座を手にいれること、なのかもしれません。
わかりやすく言い換えると、平たく「現代に生きる人間とはこういう存在だ」ということを理解できるようになりたい、という感じ?
こうやって書くとめちゃめちゃ傲慢な願望っぽいスね・・・すいませんすいませn
そう思うようになったのは、多分自分という人間が何よりミステリーだったからなのかもしれません。
自分自身、色々な考えの元で成り立ってるわけですが、自分が成長するにつれ、その由縁であるところとかってのを不思議に思うようになりました。
そして、自分を不思議に思うということは、それとの対比になる周りの人に対する意識も生まれてくるわけで。
今日はそんなちょっと堅苦しい話なんで、苦手な方マジすいませんw
そんな感じで自分の野望が今の人間という存在を包括的に理解したいというものになったのは、大学時代お世話になった教授のとある言葉だったんです。
その授業は、現代思想および社会学の授業だったんですけれど。
たまたま午後一番の授業で、教室がお昼ご飯を食べたりする人で妙にざわついてたときのこと。
「君たち、うるさくするのはまったく構わないけれど」とその教授が突然口を開きました。
「今から僕がしゃべる内容を君たちがちゃんと知ってるなら、それはそれで構わないと思う。
でも、無知なることは、人を傷つける刃になるんだよ。だから、僕は君たちに、自分たちの常識が他の人の常識でないということを知識で知ってもらえればと思う」と。
なんかお気楽にのほほんーと生きてきた自分にとって、頭ガツーンとやられたんスよ、この一言が。
それまで、自分の創造性とかばっかりに気を取られてて、アウトプットする側の認識というのがどうにも欠けて独り善がりになってたんだな、とか。
んなわけで、それ以降、自分が知らない、ということがない状態で相手を見れるように、ということを思いながら、自分のモノづくりに対するスタンスを維持してきたような気がするんです。
それが、冒頭に書いた野望につながってくるわけですが・・・。
結果、今の金融機関での仕事を選んだんですが、これはどちらかというと、自分のインプット側に対するメリットを重視したからだったんだけど、仕事に実際携わってからちょっぴり考え方も変化してきて。
学生時代ってぼんやりとクリエイティブな仕事がしたいなーとか、やっぱり夢ばっかり持ってる時期だったんで、そんなことばっかり思ってたんスよ。
それが、結果的に仕事についてみると、どんな仕事でも創造性の余地があるというか・・・理屈ではなく実感としてきちんと根付いてきたところがあったのかなあ。。。
思った以上に自分の個を生かせる場所だったってのと、実はインプット以上にそれをすぐにアウトプットできる場所として有用だったなあと振り返ってみても思いまっす。
そんなわけで、最初はインプットするだけして、さっさと退散的に考えていた今の環境も、やりだしたら面白く&欲が色々出てきちゃったりもして。
実は、この反対側には、さっさとやめていく同期の姿がある種「カッコイイ」ことになってしまってる現状が気に食わないからってのもあるんですがw
なんつーか、基本的にあまのじゃくなんスよ(ノ∀`)
がっついてやったり、みんながやってることをやってるのがカッコ悪い的な風潮がどこかあって。
マイノリティー志向というわけじゃないはずなんだけどな^^;
結果的には、みんなが売れないようなプロダクトを如何に売ったりとか、普通に聞こえないような和声を如何に普通に聞かせるか、とかそんなことに苦心してるような感じだし・・・あまのじゃくっしょ?w
と、前置きが長くなりましたが、実はそんなことを最近思って毎日を送っていたんです。
ただ、それなりに10月以降そんなことを考えつつやってて、なんとなしにいい評価をもらってしまって・・・という循環が心地よい半面で、果てしない不安のスパイラルにもなってきて。
確かに、一番一般の人の視点に近いところからの吸収が図れる半面で、俯瞰的な視座に立つのが難しかったり。
何より、相手の価値観を吸収した後のアウトプットとして、何らかの価値観を揺らがす行為というのをもっと体現したいという欲求が出てきたり。
それに伴う形で、ちょっとした出来事がありまして・・・と長くなってしまったので、続きはキリもいいし、次の日にまわしまっす。
いつもこうやって引っ張って、首絞めてる気が果てしなくするんだけど・・・気のせいさw
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わかりやすく言い換えると、平たく「現代に生きる人間とはこういう存在だ」ということを理解できるようになりたい、という感じ?
こうやって書くとめちゃめちゃ傲慢な願望っぽいスね・・・すいませんすいませn
そう思うようになったのは、多分自分という人間が何よりミステリーだったからなのかもしれません。
自分自身、色々な考えの元で成り立ってるわけですが、自分が成長するにつれ、その由縁であるところとかってのを不思議に思うようになりました。
そして、自分を不思議に思うということは、それとの対比になる周りの人に対する意識も生まれてくるわけで。
今日はそんなちょっと堅苦しい話なんで、苦手な方マジすいませんw
そんな感じで自分の野望が今の人間という存在を包括的に理解したいというものになったのは、大学時代お世話になった教授のとある言葉だったんです。
その授業は、現代思想および社会学の授業だったんですけれど。
たまたま午後一番の授業で、教室がお昼ご飯を食べたりする人で妙にざわついてたときのこと。
「君たち、うるさくするのはまったく構わないけれど」とその教授が突然口を開きました。
「今から僕がしゃべる内容を君たちがちゃんと知ってるなら、それはそれで構わないと思う。
でも、無知なることは、人を傷つける刃になるんだよ。だから、僕は君たちに、自分たちの常識が他の人の常識でないということを知識で知ってもらえればと思う」と。
なんかお気楽にのほほんーと生きてきた自分にとって、頭ガツーンとやられたんスよ、この一言が。
それまで、自分の創造性とかばっかりに気を取られてて、アウトプットする側の認識というのがどうにも欠けて独り善がりになってたんだな、とか。
んなわけで、それ以降、自分が知らない、ということがない状態で相手を見れるように、ということを思いながら、自分のモノづくりに対するスタンスを維持してきたような気がするんです。
それが、冒頭に書いた野望につながってくるわけですが・・・。
結果、今の金融機関での仕事を選んだんですが、これはどちらかというと、自分のインプット側に対するメリットを重視したからだったんだけど、仕事に実際携わってからちょっぴり考え方も変化してきて。
学生時代ってぼんやりとクリエイティブな仕事がしたいなーとか、やっぱり夢ばっかり持ってる時期だったんで、そんなことばっかり思ってたんスよ。
それが、結果的に仕事についてみると、どんな仕事でも創造性の余地があるというか・・・理屈ではなく実感としてきちんと根付いてきたところがあったのかなあ。。。
思った以上に自分の個を生かせる場所だったってのと、実はインプット以上にそれをすぐにアウトプットできる場所として有用だったなあと振り返ってみても思いまっす。
そんなわけで、最初はインプットするだけして、さっさと退散的に考えていた今の環境も、やりだしたら面白く&欲が色々出てきちゃったりもして。
実は、この反対側には、さっさとやめていく同期の姿がある種「カッコイイ」ことになってしまってる現状が気に食わないからってのもあるんですがw
なんつーか、基本的にあまのじゃくなんスよ(ノ∀`)
がっついてやったり、みんながやってることをやってるのがカッコ悪い的な風潮がどこかあって。
マイノリティー志向というわけじゃないはずなんだけどな^^;
結果的には、みんなが売れないようなプロダクトを如何に売ったりとか、普通に聞こえないような和声を如何に普通に聞かせるか、とかそんなことに苦心してるような感じだし・・・あまのじゃくっしょ?w
と、前置きが長くなりましたが、実はそんなことを最近思って毎日を送っていたんです。
ただ、それなりに10月以降そんなことを考えつつやってて、なんとなしにいい評価をもらってしまって・・・という循環が心地よい半面で、果てしない不安のスパイラルにもなってきて。
確かに、一番一般の人の視点に近いところからの吸収が図れる半面で、俯瞰的な視座に立つのが難しかったり。
何より、相手の価値観を吸収した後のアウトプットとして、何らかの価値観を揺らがす行為というのをもっと体現したいという欲求が出てきたり。
それに伴う形で、ちょっとした出来事がありまして・・・と長くなってしまったので、続きはキリもいいし、次の日にまわしまっす。
いつもこうやって引っ張って、首絞めてる気が果てしなくするんだけど・・・気のせいさw
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