2004 |
05,22 |
«無題»
東京ウェストゲートパークなどでおなじみの石田布良の作品が文庫で出ていて、ふと買ってしまいました。
実は、もともと森博嗣の作品が集英社文庫で出ていて、それをかおうと思ったら一緒に並んでただけなんスけどね^^;
20歳の大学生のリョウという青年が出てくるんですが、彼は、教室に行くとふと息が詰まってしまい、まともに学校へ行かずにバーでバイト中。
そんなバーに、ある日30代後半の綺麗な女性がやってくるんですが、彼女にとあるテストをされ、やがてリョウは高級なコールボーイとして雇われる、という筋は簡単な話です。
ただ、実際のお話は、筋で聞くような軽い話ではなくて、読後すごくさわやかな気分になれる作品だったような気がしました。
まあ、いろいろとHの描写も激しいんスけど(笑)、この人の作風なのか、妙になまめかしいことを書いてもさらっとしてるんですよね。
全然いやらしくないというか。。。
多分それは、その行為を描きたいわけじゃなくて、それを通じて垣間見える相手の女性の、そしてそれを受け止めるリョウの色々な心の機微に焦点があたっているからかもしれません。
それこそ、そういうものを求める女性には、それぞれの事情があるんですが、このリョウというヤツは、相手にどんな事情、性癖、過去があろうとも、それを違和感なく許容しちゃうとある理由があって、それと呼応していきながら、いろいろな人の切なさや情が溢れ出していく様は見事に描かれてるなあという実感。
なんというか、淡白なのか燃えてるのかわからない、そう言われる今の若者と括られる人達の感覚を描いた作品ってなかなか少なかったような気がするんですよね。
実際、僕自身、妙に客観的な目だけ養われてて、主観的に熱い部分が果たして何に突き動かされているのか、ふと自分の中に蠢くそれに説明がつかない時があるような。
多分集団幻想みたいなものが徐々に失われつつある時代だからかもしれないなんて思いつつw
それの善し悪しに関しては別の問題としても、確かに若さゆえの猪突猛進なんて事はいまどき珍しいのかもしんない。
その点、この主人公のリョウの冷めたようでいて、そこには何らかしらの理由付けがちゃんとあってという設定、個人的には自分の中で結びつく部分も多いにありました。
まあ、最後の作品の収束に関しては若干不満もあったけれど、思っていたよりもずっと「小説」だったかなあ。
手に取った時は、ほぼ官能小説だったらどうしようと思ったんスけどねw
現代の若者がーなんていうことを言う人って、実はその発言自体が集団幻想の現れなのかもしれないなあ、となんとなくこれを読んでぼんやり思いました。
そして同時に、集団としての何らかの方向性が失われてる中で、個のベクトルが確立されないまま、ひょっとしたら迷走してる人もいるのかもしれないな、と。
そう、これを書いてる自分だって、振り返れば道なき道を歩んでいて、分散された細かな自我が点在しているだけで。。。
そういう意味では、人の人生というのを器にして、それを共有しながら何らかの新しい意味を見出させる仕事が、逆に自分の中の要素を発見するという意味で、すごく大事なんだなというのが、この小説のようなコールボーイだけじゃなくて、自分の生き方、仕事にだって繋がるものかもしれないって、ふと自戒の念にとらわれた、そんな夜でした。
まあ、同時にあとはそういった行為に対する道徳みたいなものに対して、僕らが如何にがんじがらめになってるかってこともちょっぴり考えてみたり。
まあ、自分だけかもしれないんですけどね。
そういう仕事とかも、なんだかどうしても抵抗があって、大学のときとか声かけられてもできなかったし^^;(まあできるほうが特殊なんだろうけどw)
意外と根っこの部分が妙にマジメなのは、何か理由があるのかもしれないよなあって。
でも、このリョウの生き方を見てると、意外と愛がなくても成立するもんだよなって変な納得をしてみたりしてねw
−むー、最初はもうちょっとやわらかい感想を書こうと思ったんスけど、そうすると結局そういう描写のあれこれとかになっちゃいそうでねw
だって、ここのこういうプレイがとか日記にかけないじゃないですか。
はー、もう、ってなんで一人でもだえてるんだろ、オレw
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